NLP音痴
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NLPとはニューロ・リンギスティック・プログラミングの略で神経言語プログラミングと訳されます。要するにコミュニケーションと成功哲学を組み合わせたもの、というのが私の理解です。

私はNLP音痴です。セミナーも行ったし、本も読みましたが、どうもピンと来ません。どうも専門のタームをもてあそぶ似非学問という印象を拭えないでいます。

コーチングをやってる人の中には、NLPは素晴らしい、という人はたくさんおられます。これらの方々を批判しようなどとは夢思いませんが、コーチングは自分のやり方でいきたいです。ついてはNLPは考えないでおこうと思っています。

NLPでサブモダリティ変換というのがあります。

たとえばミスをしたいやな記憶をクリアするために、

「その場面を絵にすると、どの辺にありますか」
「色はありますか」
「その絵は動いてますか」
「何か聞こえますか」
「それはどのあたりから聞こえてきますか」
「体の中はどんな感じですか」

と訊いていって、次にうまくいった時の記憶を呼び出して、過去の認識を変えていくという手法なんだそうです。

正直付き合ってられません。やっててアホらしいと感じます。こんなことをやるより、私は五井さんのこちらのほうがよほどピンときます。

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人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、
常に守護霊、守護神によって、守られているものである。
この世の中のすべての苦悩は、
人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど、
現われれば必ず消えるものであるから、
「消え去るのである」という強い信念と、
「今からよくなるのである」という善念を起し、
どんな困難の中にあっても、
自分を赦し、人を赦し、自分を愛し、人を愛す、
愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、
守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、
「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆけば、
個人も人類も真の救いを体得できるものである。

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サブモダリティ変換なんぞ、取るに足らないと思うのは私だけでしょうか。

NLP学ぶなら、正しい宗教を身につけたほうが良いと思っています。

アサーティブネス(続き)
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さてビジネスにおけるアサーティブネスというのを考えてみたいと思います。

私に言わせると、アサーティブネスとは、言いたいことを言って自分にストレスをためないことです。これは仕事にも当てはまります。どんな仕事も先送りにすると、精神的に保持(リテイン)しなければならないので、ストレスのもとです。

たとえば、上司や同僚と揉め事があって、相手がひどく気分を害していたとします。私なら、これをペンディングにしてウィーク・エンドに突入、なんてことは絶対やりません。必ず、その場で解決してしまいます。

また、仕事で気になるところ、気が付いたところ、わからないところがあれば、その場で、上司や部下に訊きます。後で、なんて思うと、これまた精神的に保持(リテイン)しなければならず、ストレスのもとです。

つまり、仕事でアサーティブであるためには、思ったこと、気づいたことをすぐ口にするのがよいのです。もちろん口にしたことが、相手を傷つけたり、不安にしたりするのは論外です。

すぐ口にしてすぐ解決すれば、それを踏み台に、直ちに次のステップに進めます。つまりアサーティブである結果、断然仕事がはかどるのです。

つまり全ての機会と縁を前向きに活用し、屈託がないのがアサーティブである、ということができます。

この「屈託のなさ」というのは一種の悟りのバロメーターだと思っています。そして、アサーティブネスを身につけた人ほど、屈託がありません。アサーティブネスを身に付け、happy-go-luckyのノリを身に付けることは、楽しく世渡りしていく秘訣ではないかと思います。

アサーティブネス
123



アサーティブネスというのはコーチング用語なのですが・・・

assertは「主張する」ということですから、「主張的であること」といった意味合いです。

ひと言で言うと、言いたいことを言って自分にストレスをためないことです。しかし、他人を傷つけてもいけない、というただし書きがつきます。

自分にストレスをためない、というのがいかに大切なことか、下記深見東州さんの本から引用します。

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「憎まれっ子、世にはばかる」

名言だと思う。もっと世にはばかりたかったら、憎まれっ子になればいいわけだ。なぜ憎まれっ子、世にはばかるのか。これを私は分析してみた。

憎まれっ子、世にはばかると言われるように、本当にやりにくくて我が強くて自己中心でワンマンな人は、わりと長生きしている。頑固というのでガンになる人もいるが、

「ほんとにやりにくい主人で、娘のことも考えずに、言ったら言ったきり」

で、みんなから嫌われている人でも、九十何歳とか八十何歳の人がいる。

「あのお父さんのそばで、お母さんは苦労して苦労して、そのために早く亡くなったんですね」

なんていうのもよく聞く。佳人薄命というが、いい人は本当に早く亡くなって、みんなから嫌われる人ほど堂々と生きている。この憎むべき事実というものを、私は分析したのだ。なぜ憎まれっ子が、世にはばかり、長寿なのか、と。

もちろん、人を苦しめながら長く生きた分だけ地獄で苦しむレベルも大きいのだが、とりあえず長く生きている。そう考えると、憎まれっ子には生命力がある。長いか短いかという点で、やはり憎まれっ子が長生きするのはストレスがないからなのだ。

いい人はなぜ死ぬのかというと、憎まれっ子によるストレスをもろに受けてしまうからだ。ストレスがたまると早死にするというのは医学的にも根拠があることだ。憎まれっ子で、言いたいことを言う、やりたいことをやっているという、ワンマンでわがままでやりにくい人に対しては、周囲は本当に気を使って、ストレスがたまる。

そういう困ったじいさんは、死んだら地獄に落ちて、心優しい先に亡くなったおばあさんは天国に行ったに違いない、と皆さんは期待されていることだと思う。

ところが、その反対の場合も多いのである。意外にこういう憎まれ者の人がある程度いい霊界に行っていることがある。絶えず明るくて朗らかで、言いたいことを言えて元気だからだ。おまけに人に全部押しつけているから悶々としない。

反対にその人に苦しめられた周りの人は、あまりいい霊界に行っていないものだ。絶えず苦しみと葛藤の状態にいて、その思いの世界に合った下の霊界に行っているから、一見、すごく人がよかった人ほど霊界で苦しんでいる人が多いのは、見ていて気の毒である。

なぜこんなことが起きるのか。それは、ストレスが、人の良い人自らの御魂(人間の中の神なる部分)を痛ましめているからである。少々心が痛むくらいならいいが、自己の御魂まで痛めているからなのだ。

憎まれっ子の方はストレスがなく、たまにあっても絶えず発散して、自分を大切にしている。だから、自分の御魂は絶えず晴れ晴れとして発展的で、陽気で、楽しい。周囲が全部悪いんだと言っていられるからだ。それで意外にいい霊界へ行く。もちろん生前人を苦しめた業で、はじめは少々霊界で苦しむことがあったとしても、やがていい霊界へ行く。神霊世界では、発展の妙気があることが好まれるからである。

悪の心があったら地獄界ではあるが、善なる心でやりにくいという人は霊界でそれほど苦しんでいない。逆にすごくいい人、まじめな人、真剣な人、善人、愛情ある人のほうが地獄へ行くのだ。本当に不合理なことだけれども、そうなっている。

だから、信仰心があるとか、考え方の工夫をして心を苦しめないひとはまあまあいいところにいるが、周囲でその人を憎んだり、うらんだりした人は、生前の地獄のような苦しみの日々に比例した、霊界の地獄界へ行ってしまう。

もちろん、それだけ絶対的にまわりに苦を与えたという人は、霊界でマイナスの得点にはなっている。しかし、世の人々の第一番目は自分であるから、自分を大切にしたという人は、それでも比較的ましな霊層にいるのだ。

いい人だけれど、ものすごくストレスをためている人は、自分を傷つけているから、神様から見たら不合格なのだ。そんな人が貢献してことといえば、憎まれっ子をいい世界に送って、憎まれつつ長生きさせたという功徳である。その分はプラスだろうけれども、絶対量から見たら自分の魂を痛めているので、神様は喜ばないのだ。そこで当然、霊界で苦しんでいる。非常に不合理だとは思う。

いくら当人が自分だけ朗らかだからと言って、人を苦しめた憎まれっ子が良い霊界に行き、苦しめられた人が下の霊界に行くとなると、これは割が合わない現実だ。「神も仏もないものか」と言いたくなる。

『悪霊退散』 深見東州 2000年 たちばな出版

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この間連絡を取って来られた方なんか、田舎の親戚付き合いで十年以上にもわたってストレスをため込んでいて、それは気の毒でした。早速アサーティブネスの概念を紹介して、ストレスをためない工夫をオススメしました。

ストレスをためるくらいなら、憎まれっ子になるほうがまだマシなのはよくわかりますが、かと言って本当に憎まれっ子になって、他人にストレスを与えているようでは矛盾もいいところ、人間価値の否定ですわね。大切なのは、あくまでも他人を傷つけないということです。

さてアサーティブネスを身につけた人はどうなるのでしょうか。私の経験では、常に上機嫌で話しやすい人になります。自分にストレスをためず、他人にも思いやりがあるから、当然の結果ですね。

五井昌久さんの本に「高級霊は上機嫌」というのがありました。上機嫌は英語でhigh spirits、これは高級な霊魂とも訳せますね。つまり悟ったひとはいつも上機嫌なのですよ、という趣旨なのですが、わたしはこれをもじって「アサーティブネスは上機嫌」と申し上げたいと思います。

仕事をしない
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「どうも自分のチームがうまく回らないのですが・・・」

と言ってこられた管理職の方がありました。話を聴くと、部下の仕事の詳細に口うるさく介入している、ということでした。つまり「選手としての仕事」をし過ぎているのです。

ご本人の希望もあり、コーチング的なアプローチをご提案しました。もちろんコミュニケーションも大切ですが、それ以上に大切なのは「選手としての仕事」をするのをやめ、「監督としての仕事」をすることです。

上司が選手として、部下の仕事に口を出し過ぎると、部下はやる気をなくして、その分仕事をしなくなります。たとえば部下が10人いたとすれば、

「部下がやる気をなくしてやらなかった分の仕事×10」が効率ダウンですね。

上司が監督らしく、部下に仕事を任せていると、この効率ダウンはありません。

さらに上司が上手く部下を盛り上げると、

「部下がのせられてやった仕事×10」が効率アップとなります。

「監督としての仕事」というのは手っ取り早く言うと、「仕事をしない」ことです。仕事をせずに部下を和ませて、雰囲気づくりをする、盛り上げる、のがコツです。

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諸君はもしある会社につとめていて事務所の単調な砂漠のような仕事の連続に飽きてきたとき、もしその仕事と仕事とのつながりに、ちょっとしたシャレ、ジョーク、諧謔などに触発されて哄笑が飛び散るならば、諸君は砂漠でオアシスを見出したようによみがえって、再び元気良く仕事にかかれるであろう。聡明な上役は仕事の合間に下役の気を引き立てるような罪のない諧謔を飛ばす。能率を望む実際家もまた笑いの効果を知らなくてはならない。上手な教育家は生徒をときどきユーモラスな話で笑わせながら授業を進めてゆく。それで生徒に喜ばれてかえって成績が良いのである。

『光明の生活法』 谷口雅春 1961年 日本教文社

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つまりコミュニケーション以上にあり方を変える必要がある、ということですね。選手と監督とでは意識の持ち方を基本的に変える必要があるのです。

実習
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月イチくらいで官庁や学校、一般企業でコーチングのセミナーをお受けしているのですが・・・

週明けはセミナーで北海道に行っておりました。

さて、コーチングのセミナーですが、コーチングは講義だけでは、身につきませんので、後半はなるべく多めに実習に時間を割くことになります。

実習タイム冒頭では、私がクライアントを1名指名、モデル・コーチングをして見せます。変に失望されてはかなわないので、必ずこういうふうに断わります・・・

「みなさん、コーチングの会話は決して華々しいものではありません。むしろ丁々発止なら、ポイントが深まっていないと言えます。クライアントの意見を引き出すのがコーチングですから、クライアントが考え込んで答えに窮するような質問が良い質問なんです・・・」

と予め前置きし、実演に入ります。通常相手はコーチングに慣れていませんから、ポイントを土俵に引きずり出すのに苦労しますが、こちらはふだんの訓練で慣れてますからなんとかなります。

次に受講者2名を前に座らせ、受講者同士でコーチングしてもらいながら私が時おり介入し、全員で質問のしかたを検討します。この際に言うのは、皆さんの生の問題でコーチングしましょう、ということです。

架空のテーマでコーチングしたのでは、問題が深まらないからです。

とはいうものの毎回トンデモのテーマが出ます。

タバコを止めたい、とかダイエットしたい、とかいうのは極めてまともなのですが、婚期を逃したムスコを結婚させたい、というのがありました。

そうかと思うと、部下の根性を叩きなおしたいのでコーチングをお願いしたい、というテーマが出てきて、こちらが仰天したことがあります。「根性を叩きなおす」という外的コントロールはまるでコーチングのコンセプトからはずれます。「やる気を出してもらう」に言い換えてもらいましたが・・・

一番困ったのは「寝不足なのでコーチングしてほしい」というテーマでした。寝れば解決することなので、全くコーチングに相応しいテーマではないのです。が、理想と現実のギャップがあるようなのをテーマにせい、と言った手前、こんなのが出てきてもおかしくありません。

結局、現在コーチングのニーズのない人同志がコーチングするからこういうことになるのですね。理想にはほど遠いコーチングを介入して立て直す必要がありますから、結構大変です。ほどほどのところで妥協せざるをえません。

「受講者2名を前に座らせ、受講者同士でコーチングしてもらいながら私が時おり介入し・・・」というやり方をなぜするかというと、こういうことでもしなければ、素人どうしでは、なかなかさまになったコーチングは不可能だからです。

以前著名な某氏のコーチング・セミナーに出たことがありましたが、参加者があまりにもコーチングを理解できていないのに愕然としたことがあります。実習タイムは単なるディスカッションでした。

とにかく初めての人にコーチングを指導するのは、それなりに難しいのです・・・
150 ケチでなければ
149 神経質過ぎるほどのフィードバック
148 イメージング
147 親は変えられない
146 悪者家族

*
145 話の長い人
144 趣味と親友
143 波間に漂う質問
142 自己の欲求に忠実に生きるとは
141 あくまでも平静に

*
140 ET
139 悪いこともいいことも続く
138 人生の勝利者
137 宗教心
136 クライアントの質

*
135 世の中で一番楽しく立派なことは
134 コーチングは低成長時代の産物
133 盛り立て・盛り上げ
132 断定口調
131 承認

*
130 どうということはなし
129 夫婦の間
128 取次ぎ人
127 老人力
126 宗教的素養

*
125 NLP音痴
124 アサーティブネス(続き)
123 アサーティブネス
122 仕事をしない
121 実習
*
120 なめられないために
119 度量
118 天気・気温を語ろう
117 依存症
116 フィードバック

*
115 差し迫ったニーズ
114 プロマネ
113 咀嚼力
112 ゴールを疑ってみる
111 コーチはトレーナーに非ず

*
110 コーチングの行き着く先
109 恵まれた交友関係
108 仮説力
107 引きつけて撃つ
106 体験コーチングの実際

*
105 体験コーチングというけれど
104 体験コーチング
103 一生懸命を疑おう
102 レベル間の往来
101 ライフ・レベル


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001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
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