どうということはなし
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コーチングのセッションは合計12回で契約していただいております。

12回あればいろいろな回があると言ってよいでしょう。始めの何回かは方向付けのため、かなりセッションがサマになりますが、方向付けが済んでしまうと、そのテーマを基本的に繰り返すことになります。

その結果「今回はとくに何もないのですが・・・」で電話を頂戴することも多いのです。これは無理からぬところですね。

このシチュエーションでセッションがダレるかダレないかで、コーチングのプロとしての実力が明らかになるのでは、と思っています。

たとえばこのシチュエーションで、どうもジョギングが続かないので、これをコーチングして欲しい・・・こういった狭いテーマをクライアントさんが言ってきたとします。

もちろん、ジョギングを続けるには、と押して行ってもコーチングはできます。しかし行き着く先はたかが知れている、というしかありません。精神論に終始して、袋小路に入ってしまうことでしょう。

この程度のコーチングは喩えて言えば、「トンカツを食べる」ようなコーチングです。誰だってできます。

しかし、ちょっと切り込み方を変えれば状況は一変します。

たとえば、「ジョギングをしてどうなりたいですか」とやります。

たいてい、「体調を整えたいです」と来ますから、

「では、体調を整えるにはほかにどんなことができますか」と振ります。

こうすると、体調を整える内容がすべてコーチングで扱えるため、断然コーチングがやりやすく、意義深いものになります。

ポイントはことの本質に言及し、クライアントがゴールに向かうことによって何を得たいのかを明らかにすることです。ことによったら、ジョギングするよりいい方法が見つかって、ジョギングはしなくていい、ということになる可能性があります。

これは「ブタ肉からトンカツをつくる」ようなコーチングと言っていいでしょう。

さらに「体調を整えて、あなたどうなりたいのですが、何がしたいのですか」とやれば、これは「生のブタを殺してブタ肉にする」コーチングであるといえるでしょう。

つまり何のへんてつもない話題から、人生を語るところにまで昇華させられるわけですね。

もちろんこんなふうに「話題を膨らませる」ことをクライアントさんが嫌がるのであれば、全く意味がないのです。

しかし、「話題を膨らませる」ことによってクライアントさんが新たな気づきを得た、満足した、そしてその結果、感動すらした、というのであれば、それこそプロのコーチの存在意義と言えるでしょう。

単なるオウム返しのコーチングでは「どうということはなし」というというシチュエーションでとても間が持ちません。

「話題を膨らませる」には豊富な発想力と知識が要るのです。プロのコーチングとはそういうものだと思っています。

夫婦の間
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夫婦の間で、カウンセリングとかコーチングとか出来るものでしょうか。

気楽な話題なら問題ないでしょう。

しかし深刻な、そしてネガティブなドロドロした話題は絶対に持ち出すべきではないと思います。これを延々とやって、別居・離婚となったハナシは体験コーチングの折り、何度か聞いたことがあります。

たとえば、自分がリストラされるのではないか、といった恐怖を延々と奥さんに話す、などと言ったことです。

夫婦は苦しい時に支え合うものである、という考え方は世間的に刷り込まれています。これは夫婦ともども前向きならそうも言えるでしょう。が、思い違いをしてはいけません。夫婦どちらかが後ろ向きで、不安と不快感を増長させるだけのハナシを延々とするなら、結果は破滅的なのです。

私の考えを言いましょう。夫婦は他人です。よって常に礼儀正しく、自分の良い面だけで付き合うべきです。恋人同士はネガティブな面を相手に語りません。あれを終生続けるべきだと思います。たとえ強がりであってもです。いかなる場合も相手を不安にさせる権利は自分にはないと思います。

夫婦はお互い常に前向きに、不安に触れず、不安をユーモアに昇華させるのがあるべき姿なのです。つまり、夫や妻をお互いが演じる必要がある、と言いたいのです。これぐらいでも、相手のホンネはなんとなく解るものです。

とはいえ、やはりホンネは夫婦で語らず、自分で抱え込むべきだと思います。家庭は常に明るく、心安らぐ場でなくてはなりません。自分の心のなかのドロドロした部分を家庭でぶちまけても全てが失われるだけです。

自分が悩みを抱え込めないくらいに、精神的に未成熟なら、結婚すべきではないのでしょう。離婚にはいろいろな理由があるでしょうけど、片方もしくは両方が精神的に未成熟で、話してはいけないことを話してしまったから、というケースもずいぶん多いのではないかと思います。

どうしてもドロドロした部分をしゃべる必要があるなら、信頼できる相談相手、たとえばカウンセラーやコーチなどの第三者に聴いてもらうのが正解だと思います。カウンセリングやコーチングのPRみたいになってしまいましたが、これはホントですよ。

取次ぎ人
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陸奥(みちのく)一関市にベーシーという、マニアなら良く知っているジャズ喫茶があります。

そこの店主の菅原氏は著書で、「自分はジャズの巨人の取次ぎ人でいきたい」と書かれていました。マイルス・デービス、コルトレーン、エリントン、・・・などの演奏録音をジャズ喫茶の高級装置で鳴らし、普及啓蒙に努めたい、という意味です。

それを真似するわけではないですが、私はよき書物の「取次ぎ人」で行きたいと思っています。

だいたい私個人がコーチングで導けるソリューションなんぞ、タカが知れているのです。ただし、良き書物を紹介することによって、私のコーチングでも、結構な救済力を持ちます。

たとえば名著『ソース』ですが、あれはほぼ全員のクライアントさんに紹介して読んでもらっています。結果、自己を見出して大変身を遂げられる方が輩出しているのです。

私自身の工夫としては、単に書籍を紹介するだけでなく、書籍の抜粋をつくって紹介しています。具体的には自分が今まで読んできた書物の気に入った一節をインプットして、ホームページの隠しページにしてストックしています。100近くあると思います。そして必要なときにクライアントさんにメールして、文中のリンクで紹介するのです。

良き書物の助けを借りることによって、私のコーチングの効果は何倍にも上がります。それは私の力ではなく、よき書物の力です。

とはいえ、取り次ぐことによってコーチングの効果が何倍にもなるのなら、取り次げるのもコーチの実力のうちです。

ワタシも「取次ぎ人」で行きます。

老人力
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パーソナル・コーチングでライフワークを追求する場合、「老人力」の理解が極めて重要です。「老人力」を肯定するかしないかで、ビジョンの描き方に大きな差がつくからです。

たとえば私は今46です。定年まで14年と見れば、もうそれほど後がない、ように思えます。が、92まで生きると仮定したら、まだ半分です。すなわち定年後の「老人力」を前向きに評価すれば、もうひと花、ふた花咲かせられるでしょう。

ただし、創業経営者は例外としても、会社組織にいつまでも老人が居座って老人力を発揮する、というのは老害と言っていいと思います。若い人が育ちませんから。老人力は組織を離れたライフワークで発揮するべきではないか、と考えます。

「老人力」で私が連想するのは、大阪フィルの常任指揮者を半世紀にわたってつとめられた、朝比奈さんです。数々の偉業は言うことがありませんが、注目すべきは88歳のおり、シカゴ交響楽団を振るために単身渡米(しかも2度も!)されたことです。明治生まれの方ですが、記者会見は英語でゆうゆうとこなし、ブルックナーの大曲を立ったまま指揮、現地マスコミには評価されなかったが、熱狂的なファンを獲得した、というものです。

今から10年ほど前、テレビでシカゴ響を振る朝比奈さんが放映され、私も見ましたが、紛れもなく朝比奈さんの芸風にシカゴ響が染め上がっていて、見ているこちらも熱くなりました。

88歳といえば、大抵の人はくたばってあの世に行ってしまっています。まことに凄いというしかないです。音楽を追求された翁は93歳で亡くなられましたが、「老人力」を語る時にこの方だけは外せない、と思います。

朝比奈さんにはとうてい及ばないと思いますが、ぜひともあやかりたいです。老人力にはこれくらいの潜在力があるわけです。そしてクライアントさんたちにも朝比奈さんのことはぜひとも知っていただきたいです。

私の部屋には、破顔一笑する朝比奈さんの写真が額に入れて飾ってあります。まことに神々しくて、見るたびに元気が出てくるのです。

宗教的素養
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「宗教」という言葉の印象は日本ではすこぶるよくありません。

宗教団体といえば、拝みを強要し、金銭をかすめ取る、胡散臭いモノである、と思われているのが実情ではないでしょうか。

しかし、本来宗教とは「人間いかに生きるべきか」という一番肝心な教え、のことであるのです。

私は何宗何教ではいっさいありませんが、あなたは宗教の教えに従っていますか、と問われれば即座に「従っています」と答えることになります。人間いかに生きるべきか、を宗教的に表現した教えとしては、五井昌久先生の下記のことばが一番誤解生まず、かつまた救済力があると思っています。

----------------------------------------------------------------

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、
常に守護霊、守護神によって、守られているものである。
この世の中のすべての苦悩は、
人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど、
現われれば必ず消えるものであるから、
「消え去るのである」という強い信念と、
「今からよくなるのである」という善念を起し、
どんな困難の中にあっても、
自分を赦し、人を赦し、自分を愛し、人を愛す、
愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、
守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、
「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆけば、
個人も人類も真の救いを体得できるものである。

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さて、パーソナル・コーチングも「人間いかに生きるべきか」というテーマを追求するためにやるわけです。当然の結論として「コーチは宗教的素養がなくてはならない」と私は信じていますが、おかしいでしょうか。

そして私が他のコーチと異なるのはこの点だと思っています。

私はこれまで結構多くの宗教とご縁がありました。プロテスタントの信徒だったこともありますし、谷口雅春先生、五井昌久先生、中村天風先生、沖正弘先生、深見東州先生の著作を読んで今日があります。宗教を前面に出すことは断じてやりたくありませんが、宗教的理解なくして、たいしたコーチングはできようがないと思っています。

私はコーチングで助けてもらったのをきっかけにこの道にはいりましたので、「救済力」のあるコーチングこそ目指す方向なのです。そして、コーチとしての実力は最後は「救済力」という形で出ると信じて疑わないのです。
150 ケチでなければ
149 神経質過ぎるほどのフィードバック
148 イメージング
147 親は変えられない
146 悪者家族

*
145 話の長い人
144 趣味と親友
143 波間に漂う質問
142 自己の欲求に忠実に生きるとは
141 あくまでも平静に

*
140 ET
139 悪いこともいいことも続く
138 人生の勝利者
137 宗教心
136 クライアントの質

*
135 世の中で一番楽しく立派なことは
134 コーチングは低成長時代の産物
133 盛り立て・盛り上げ
132 断定口調
131 承認

*
130 どうということはなし
129 夫婦の間
128 取次ぎ人
127 老人力
126 宗教的素養
*
125 NLP音痴
124 アサーティブネス(続き)
123 アサーティブネス
122 仕事をしない
121 実習

*
120 なめられないために
119 度量
118 天気・気温を語ろう
117 依存症
116 フィードバック

*
115 差し迫ったニーズ
114 プロマネ
113 咀嚼力
112 ゴールを疑ってみる
111 コーチはトレーナーに非ず

*
110 コーチングの行き着く先
109 恵まれた交友関係
108 仮説力
107 引きつけて撃つ
106 体験コーチングの実際

*
105 体験コーチングというけれど
104 体験コーチング
103 一生懸命を疑おう
102 レベル間の往来
101 ライフ・レベル


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001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
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