あげまん、さげまん
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あげまん、さげまんという言葉がありますが、承認という概念から理解すればまことに納得いきます。

なにせ、あげまんは、

「あんたはすごい」
「あんたならやれる」

という承認を一生涯吐き続けてくれるわけです。さげまんはその逆で、

「あんたなんて最低」
「あんたはなにをやらせてもダメね」

という批判を一生涯吐き続けるわけです。これは人生勝負あった、にならなければおかしいでしょう。

あげまんの効能はそれだけにとどまりません。子供も影響されて、

「お父さんは天才や」とか
「さすがはお父さんや」とか口々に言い立てるようになるのです。さげまんはその逆。これはいよいよ人生勝負あった、になります。

さて、私個人は幸いなことにこの「あげまん」に当たりました。ま、家のなかに応援団を置いているみたいなもんです。こちらも何か結果が出ると、それを「応援団」の前で吹聴する。それを受けて「応援団」の応援が炸裂する。これじゃ結果を出せないほうがおかしいというものです。

しかし、こうした「応援団」は自然にできたものではありません。多少文句も言いたいことがあっても、それは最小限にして、とにかく家族を承認することでやってきた、そうした努力の結果でもあるのです。

どうですか?承認の人生を歩むか批判の人生を歩むかで、世界は180度違う、ということがおわかりいただけると思います。

承認が承認たりえるためには
744



その人がどんな承認の言葉を吐くのか、それはその人の愛深さ、人格の完成度合いのバロメーターです。では承認が承認たりえるためにはどういう条件が必要なのでしょうか。

@TPOをわきまえた承認であること
時宜を得ない承認に対しては、相手が怒り出すことだってあるのです。

ある年配の男性がおっしゃっていましたが、自分の母親に向かって、

「最近、きれいになった」

とほめたところ、ふざけるなと真顔で叱られたそうです。

こんな場合はたとえば、

「寒いのに(暑いのに)たいへんだねぇ」

といった気持ちを肯定する承認なら問題なかったことでしょう。何を承認してあげるのがよいのかは、それなりの洞察力は必要です。要は相手がどういう承認を欲しているか、見抜けばいいのです。

A繰り返し何度も、の承認であること
一度の承認が人生を変えるということもないわけではありません。しかし、人を育てる承認、人間関係を築き上げる承認というのは、一度だけではなく何度か時間を空けて繰り返されなければならないのです。承認する側は「何度か時間を空けて繰り返す」だけのサービス精神(努力)が必要であるわけです。

B承認する側が十分自己承認できた(摂理と強固につながった)人格であること
精神年齢の低い、情緒不安定な相手から承認されても、別にうれしいことはありません。しかし、高い尊敬できる人格から承認してもらえば、わ〜っと元気がでます。他人に対する承認は、その人の自己承認を他者に分かち与える行為だからです。

@〜Bを満足した承認は間違いなく効果を発揮するはずですし、承認された相手は承認してくれたあなたに対して自分が与えられた以上の承認を返してくれるはずです。直接返って来なくても、「陰ぼめ」という形で間接的に返って来たり、あなたに対する「敬愛の念」という精神波動で返ってくることでしょう。

承認は人格のバロメーター
743



人は自分で承認されるに値しないと思っていることを承認されても、そんなにうれしくないものです。

たとえば、自分で字が下手だと思っていたのに上手だと言われた、似合わないと思っていたヘアスタイルをほめられた、などはせいぜい悪い気はしない程度です。こうした事実は、単になんでもかんでも承認すればいいわけではない、ということを示しています。

これと反対に、自分でこれは自信がある、と心ひそかに思っていることをほめられたときが一番うれしいものです。承認は承認する対象が的を得ている時、はじめてその効果を十全に発揮するわけです。

的を得た承認はどういう意味を持つのか。

自分の真我が肯定することでも、その確信が足りない場合は、他人の加勢が必要だ、ということです。また確信が十分でも、他人の加勢があればなお良い、ということになります。人間は宇宙の摂理と自己承認によって繋がっています。これに他人が加勢することで、宇宙の摂理とのつなぎ目がより強固になる。これが幸福感となって現れるわけです。

人間は摂理とより強固に繋がることによって、その本分を発揮するものです。承認は相手を摂理とより強固に繋げることによって支援する行為なのです。他人が摂理とより強固に繋がることを促進する言葉はやはり愛深き言葉というしかありません。それゆえに承認こそ最高の愛情表現であると言えるのです。

その人がどの程度承認の言葉を吐くのか、それはその人の愛深さ、人格の完成度合いのバロメーターなのです。

承認と安堵感
742



日常の雑事をひととき忘れて、この世界を観察すると見えてくることがあります。

それは、この世界のすべてのものは生滅を繰り返しながら流転しているのですが、ただ変わり行くのではなくて、進化し続けているということです。

すべて生あるものは滅びますが、単に滅ぶのではなく、進化するために滅びるわけです。優勝劣敗や弱肉強食ということばはそうした滅びの非情さに焦点をあてた言葉です。ライオンに食われまいとして、シマウマは速い足を得、カモシカは尖った角を得ます。そうした進化のなかで、優れた強いものが生き残っていくわけです。

その一方で、創造は間断なく進行していきます。新しい命が生まれ、新しい考え方が生まれ、新しい文化が生まれるわけです。こうした進化の世界には必ず「かく生きるべし」という「摂理」が存在します。動物は本能で生きていますので、摂理を踏み外すことはありません。

しかし人間は動物と違って自由意志を与えられています。摂理に適った生き方をするのも、摂理から外れた生き方をするのも、個人が自由に選択できるわけです。その結果、放っておけば簡単に摂理を踏み外してしまいます。

そうならないために、「人間かく生きるべし」という摂理は快不快という感覚で我々にガイドラインとして指し示されます。すなわち摂理に適っていれば幸福感が、摂理に適っていなければ不快感があるわけです。

その意味では、どの人にも造物主の「完全理想」が宿っているのです。造物主の「完全理想」は常に我々に向かって中より、「汝高邁であれ。汝気高くあれ。汝正しくあれ。汝尊くあれ」とささやきかけているわけです。

各人に宿る造物主の「完全理想」はその人の人格の一部です。この人格は古くから「真我」と呼ばれてきました。「造物主とつながったあるべき真の自分」という意味です。人間は間断なく真我と対話しながら生きています。そして、人間は幸福になるためには真我の承認が不可欠なのです。真我の承認こそ本当の「自己承認」であるわけです。

自己承認できても、省みられなかったり、他人から否定されたりすることはむしろ普通です。それどころか、とても自己承認できたものではないことが、社会からやんやと持上げられ、毎日の新聞に大見出しで書かれ、あるいは大金儲けをしている事例も枚挙にいとまがありません。

そうしたなかにあってどの人も、他人から自己承認に加勢(味方)してくれるひと言を待ちわびているのです。それが他人からの承認であるわけです。

一言で言うと、承認は宇宙の摂理と人を結びつけたり、その結びつきを強化したりする働きがあるということです。承認されたときに誰もが持つ包み込まれるような安堵感、これは自分が宇宙の摂理に適った生き方をしているという安堵感に根ざしているわけです。

摂理を蹂躙すると、「天網恢々疎にして漏らさず 」で遅かれ早かれ摂理によって裁かれ、最悪の場合死が宣告されてこの世界で滅んでいかなければなりません。この安堵感、そしてその反対の危機感は人が生存していくためにまず第一に確保しなければならないのです。

自己承認であれ、他人からの承認であれ、承認はこうした人間の根源的な本質から派生しています。承認をこのようにとらえれば、その奥深さが納得できます。承認はおおもとは摂理のナビゲーションであるわけです。

プラニングは朝一番に余裕をもって行う
741



私のクライアントさんには営業関係の方が数名いらっしゃいます。保険営業、不動産営業など分野はさまざまですが、こうした一本釣りスタイルの営業はある種の共通点が認められます。

とにかく良いお客に当たれば、誰でも結果を出すことができます。ポイントは、いかに回数多くよいお客に当たるかということと、良くない(売りにくい)お客にいかに売るかということです。

いろいろなケースをうかがってきましたが、いかに高いアベレージを残すかは、やはり日々のプラニングに尽きるようです。つまり毎朝仕事始めに一日の絵が描けているか、どうかで成果は大きく左右される感じなのです。

それに加えて一本釣りの営業は結果が出れば出るほど勢いづくという側面もあります。成果が出ないでスランプというのは、プラニングが拙劣⇔結果が出ない、という悪循環に入っているケースがほとんどです。朝ぎりぎりまで寝ていて、時間ぎりぎりに出社し、十分なプラニングがないまま、日々状況に流されていく、というのが良くないパターンの典型のようです。

さらに日々惰性でやっていると、緊張の糸が切れてしまい、ベストの状態を100とすれば、せいぜい30〜40パーセントの結果からなかなか這い上がれない日々が続くようになるのだそうです。

ではどうやって流れを変えるのか。朝は余裕を持って出社し、自分の手帳を余裕をもって「手入れする」、これができるかできないかで成否が分かれるというのはどの人も異口同音に言います。一本釣りの営業で結果が低迷している場合は、とにかく日々のプラニングを朝一番に余裕をもって行なってもらうこと、これが問題解決のセオリーと言っても良いと思います。
750 いいカウンセラーの資質
749 承認の人生と批判の人生
748 後ろ向きの話は短く、前向きの話を長く
747 欠点は改めないで、目立たないように工夫する
746 そこにいるだけで元気の出る人

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745 あげまん、さげまん
744 承認が承認たりえるためには
743 承認は人格のバロメーター
742 承認と安堵感
741 プラニングは朝一番に余裕をもって行う
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740 マジョリティが年下
739 鳴門・徳島に一泊旅行
738 若さとは
737 「やり方」と「やる気」
736 自分で考えることにこだわる人

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735 他の助言者を引き合いに出すべからず
734 悔しい経験は明日への糧
733 個人差があるので焦らず頑張れ
732 20代半ばでコーチになれるか?
731 人は言葉によって生きる

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730 わが部屋
729 臨床 作業療法に寄稿
728 一日一件
727 ピンキリの研修講師
726 相手を説得する方法

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725 納得できない書き方
724 受講者の質
723 グーグル1位に返り咲き
722 何でも誠心誠意やればいいというものではない
721 書評

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720 ONE ON ONE
719 コーチングは提案で決まる
718 オフハンド・スピーチ
717 ため口
716 日経社告に再登場

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715 答を渡すのも引き出しのうち
714 これから起こる問題についてのコーチング
713 業界の受益者
712 再度日経経営セミナーに登場
711 それ、やめときませんか

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710 自分を承認できなければ、他人は承認できない、のか
709 コーチングを大所高所から見ると
708 自他の一体感こそリーダーシップの源泉
707 結婚の選択
706 満足できない=人生楽しめない、のか?

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705 セルフ・コーチングはブログで
704 グーグル1位陥落
703 守秘義務
702 仕事をしない工夫
701 型を崩すのもひとつのやり方


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