大 塩 の 乱 資 料 館
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天保8年(1837)2月19日早朝、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者であった大塩平八郎中斎が、飢饉の最中幕府の役人と大坂の豪商の癒着・不正を断罪し、摂河泉播地域の窮民救済を求め、幕政の刷新を期して決起した事件。奉行所の与力・同心やその子弟、近隣の豪農とそのもとに組織された農民ら約300人を率いて「救民」の旗をひるがえし、天満の自宅から大坂城をめざしたが、わずか半日で鎮圧された。乱による火災は「大塩焼け」といわれ、市中の5分の1を焼失した。
当時配布された「檄文」は大名から民衆まで密かに伝わり、また、乱の情報は、大塩父子がしばらく潜伏し手配されたため、全国に広く伝わり、幕藩体制に大きな衝撃を与えた。明治維新の30年前である。
乱の参加者はほとんど捕らえられ、獄中で死亡した者が多かった。
今年は乱から160年、大塩平八郎ほか関係者多くの死後160年にも当たる。
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http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/
http://oshio-revolt-museum.na.coocan.jp/index-n.htm
「大塩の乱資料館」
主宰者・曾根崎新地のひろ
(大塩の乱関係資料を読む会会員)
Copyright by 曾根崎新地のひろ