最新更新 2021.3.16
移転2001.7.1/開館 1999.9.4
(仮普請開館 1999.6.10)
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大 塩 の 乱 資 料 館 

OSHIO REVOLT ・ ОСИО РЕВОЛЮЦИЯ
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栗本鋤雲「矢部駿州と鳥居甲斐
宇田川文海「浪華異聞 大潮余談
司法省『飢饉資料』(抄)
井上哲次郎・ 蟹江義丸共編『日本倫理彙編 巻之3』(抄)
塩逆述』(附録)(最終巻)★

「大塩檄文」成正寺蔵

大塩檄文
 

    大塩の乱とは

天保8年(1837)2月19日早朝、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者であった大塩平八郎中斎が、飢饉の最中幕府の役人と大坂の豪商の癒着・不正を断罪し、摂河泉播地域の窮民救済を求め、幕政の刷新を期して決起した事件。奉行所の与力・同心やその子弟、近隣の豪農とそのもとに組織された農民ら約300人を率いて「救民」の旗をひるがえし、天満の自宅から大坂城をめざしたが、わずか半日で鎮圧された。乱による火災は「大塩焼け」といわれ、市中の5分の1を焼失した。
当時配布された「檄文」は大名から民衆まで密かに伝わり、また、乱の情報は、大塩父子がしばらく潜伏し手配されたため、全国に広く伝わり、幕藩体制に大きな衝撃を与えた。明治維新の30年前である。
乱の参加者はほとんど捕らえられ、獄中で死亡した者が多かった。

今年は乱から160年、大塩平八郎ほか関係者多くの死後160年にも当たる。

大塩の乱のあとをたどる −マップでたどる大塩の乱−』
大塩の乱関係資料を読む会 編集
大塩事件研究会 刊 1997.9 より


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「大塩の乱資料館」

主宰者・曾根崎新地のひろ
  
(大塩の乱関係資料を読む会会員)


協力◆大塩事件研究会 大塩の乱関係資料を読む会成正寺ほか

Copyright by 曾根崎新地のひろ


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