3月20日 区の民生委員長会議。夜は委員長並びに担当課長の送別会。於梅田の竹茂楼にて。

3月19日 青草人の会。歎異抄後序。弥陀五劫思惟の願、つまり第十八願について。特に唯除の文について。

3月17日 小学校の卒業式に久しぶりに参列。65人の卒業生、みんなしっかりしている。

3月10日 七組組会。

3月 2日 民生委員の研修で谷九のクレオ大阪へ。

2月22日 本山で慶讃法要の習礼で楽僧として参勤。本番でないので手を抜いたか笙を温める火鉢が楽僧席
      には3人で一つしか置かれていなかった。練習なら各管一人でもよかったのでは。

2月19日 青草人の会。歎異抄後序。「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば親鸞一人がためなり」のところ。
      法蔵菩薩が諸仏の世界をご覧になったのになお五劫も思惟されたのはなぜか。それは諸仏の世界に
      生まれることのできないものをも救いたいと願われたから。それはどういう者かというと、たとえば病人
      であっても医者の言うことを聞かない者、あるいは医者にかかろうともしない者をも救うということ。薬
      を飲まなくても病気を治す、そういう法を見出そうとされた。そして聞こうとしなくとも耳に入ってくる
      南無阿弥陀仏の名号によって救われていく道を見出された、という話に。

2月11日 警察の方が来られてしばらく車を止めさせてほしいとのこと。どういう事情か尋ねると、近くのマンション
      で孤独死のかたが見つかったとのこと。命というのはいつ、どんな形で終わりを迎えるかは誰にもわから
      ない。警察の方の仕事も突然の命の終わりに向き合うことになるので大変だ。ご遺体を車に収めるとき
      手を合わせておられた。

2月10日 組会。久しぶりに顔を合わせての会合。思わぬ情報を知ることができ、やはり会合は必要。

2 月1日  関東で午前中仕事をすまして急な用事で午後に帰宅。

1月31日 上京しオペラ観劇。「タンホイザー」よかった。感激。その前にいつもの通り新宿の大型中古CD屋へ。
      リスト編曲ベートーベン交響曲がどこの棚にあるか尋ねたら、ベートーベンのピアノ曲のところと回答。
      ベートーベンはシンフォニーを作曲したのだしそれをピアノ曲に編曲したのはリストなのでちょっと ?

1月26日 夕方 別院で7組の会合。

1月25日 大阪は雪も積もらず、交通に影響はなかったが、京都あたりは大変だったようで、電車に数時間も
      閉じ込められた人も大勢おられたらしい。混雑した車内でのことを想像するだけでぞっとする。

1月24日 今日から十年に一度クラスの寒波がくるらしい。水道が心配。

1月23日 夜 町会長会。資源ごみの回収方法が変わる。町会に資源売却益が入るようだが、どこまで周知
      徹底ができるか。

1月20日 楽僧の会の総会。こんどの慶讃法要は大変らしい。御堂が分かれてうまく演奏できるのか。新入会員
      募集の気運が盛り上がってきた。

1月15日 青草人の会。歎異抄後序。今回は真実権仮という教えについて。権仮は仮ということだが、虚偽では
      なく、真実を伝えるためにわかりやすくする方便の教え。教行信証の総序に「権化の仁」という言葉が
      あるが、王舎城の悲劇の登場人物は皆、私たちに真実を伝えるために、仏さまが仮にそれぞれの人と
      して現れて下さったということ。わたしたちも現実を生きていく中で、憎しみを抱きたきなる人と出会う
      こともあるが、そういう人は。私に八苦のなかの「怨憎会苦」があることを教えて下さる大切な人だと
      いただいていけるようになると、この世の中において仏の世界を生きることができるようになる、という話。

1月10日 七組組会。ZOOMにて。同じ組内から宗派離脱寺院が出た。さみしいことだ。

1 月7日 福島区新年祝賀会、区民センター。抽選当たらず。同じ連合内では半数の方が当選。うらやま。

1 月4日 仕事始め

1 月2日 修正会。正信偈、「道光明朗」次第六首、御文1帖目2通

1 月1日 修正会。正信偈、「弥陀成仏」次第六首御文1帖目1通
2023年 令和五年


12月31日 除夜の鐘。今年は穏やかな時候でたく さん来ていただけるかと思っていたら、例年より少なく
      百二十名くらいだった。いつも来ていただけるご門徒の方も、今年は体調が悪くて来られないという
      方もおられたようで、一年一年同じではない、ということだろう。

12月18日 青草人の会。歎異抄後序 唯円が露命わずかな自分が親鸞聖人のお教えを伝えなければという
      使命感を書き記している。聖人滅後約30年、聖人から直接教えを受けた門弟もほとんどおられなく
      なり、聖人の教えを間違って受け取っている者もいるようになってきた。それを正していかなければ、
      という思いでこの書(歎異抄)を書いている、と述懐されています。その一番の問題は、歎異抄の肝
      でもある悪人正機の受け止めと唯円は思っておられたようです。13章の本願ぼこりのところも、誰でも
      救うという本願をほこって悪いことをしてはいけない,ということを言う者は本願の教えがわかっていない
      悪いことをしないでおこうと思ってもしてしまうのが我々のあり方、それがわかっていないのは自力に
      執着しているからということになる。そういうことを唯円は伝えられたかったと思います。

11月20日 青草人の会。歎異抄後序、信心一異の論争の3回目。人間が起こす信心は自分の都合よくなるよう
      に受け取る。賜りたる信心は何かを信じ込む、疑わないということではない。心の中に広い大地が
      広がるような感じ。賜ったからありがたいということではない。讃岐の庄松は信心いただいたらどんな
      心持か尋ねられると「なんともない」と答えられたそうです。むしろ信心をいただくとわが身の事実が
      明らかになり、このどうしようもなく自分のことしか考えていないような私でも如来は見捨てることなく
      仏の世界におさめとって下さる、まず懺悔があってそれから感謝の思いがわいてくる。そういう話に。

10月18日 青草人の会。歎異抄後序 信心一異の論争の2回目。信心は賜るもの。インドの言葉では「私はうれしい」
      というのでなく「私にうれしさがやってくる」となる。私の意志でどうにかするものでないものは、私にやってくる、
      とあらわされる。信心についても同様のことがいえる。という話に。

10月13日 報恩講。今年は内陣六名の法中で格調高いお勤めができたのでは。松山先生のお話は、われわれの
      はからう心が真実を見えにくしているという話。今年の配布資料には「親鸞聖人が見いだされた真に絶対者
    たる阿弥陀仏は、「十方を尽して、さえぎることなく一人ももらさずあらゆる衆生に光をもたらす」
    如来です。だからこそその光が自己にも及んでいることを知ることができるのです。私たちの思議を
    超えた不可思議光如来であるとする精神、したがって信によってのみ捉えられるものでなければなら
    ないとする精神は、聖人が私たちに伝えたかった最も肝要な教えです


9 月23日 秋季彼岸会。朝はかなりの降雨だったので心配したが、昼前に小降りになり、20名近い参詣をいただいた。
      勤行の後、若院が御伝鈔の四段と五段を読み、住職がその内容についてお話させていただいた、四段の「蓮
      位夢想」では聖人の秘書のような役割をしていた蓮位が心得違いをしていたことを「口伝抄」にエピソードから
      話させいただいた。聖人の門弟をやめるという者から、聖人が与えられたご本尊や聖教を取り返そうと蓮位が
      言うと、聖人はその必要はない、と答えられた。ここで「親鸞は弟子一人も持たず」のお教えが出てくる。
      五段は内容が豊富だが、主に四つの事柄が書いてある。一つは法然門下に入ったこと、それを「雑行を棄てて
      本願に帰す」と書かれてある。念仏に帰すのでなく、本願に帰すと書かれたところに聖人のお心がうかがえる。
      次に選択集書写、これは入門して四年目での許可をいただいたことに、法然上人からも絶大の信頼があった
      ことを示す。最後に名前を変えられてそれを法然上人に認めていただいたこと。ここで範宴は父の名の有範
      の字を用いられた、綽空は道綽と源空(法然)からの名前で念仏を中心とした教え、次の善信は善導と源信
      からの名前で善導の機の深信や源信の「極重悪人唯称仏」などわが身の事実に重きを置いた名前、そして
      親鸞は天親と曇鸞からで信心に重きを置いた名前というお話をさせていただいた。

9 月18日 歎異抄後序 信心一異の論争。御伝鈔にも出てくる論争で、親鸞聖人の信心と師の法然上人の信心は
     違うという法然門下の念仏房、勢観房、ここでは出てきませんが聖信房と同じといわれる親鸞との論争。
     人が信じる心であれば人によって異なりますが,信心は誰にも隔てなくいただけるものであるとする親鸞、
     そして法然の心得の違い。違うという人は信心に条件を付けている。勢観房は戒を守らないといけない。
     念仏房は道を求める心が一筋でないといけない。聖信房は智慧が優れていないといけない、という立場。
     しかし法然上人の教えに「本願念仏に助はいらない。助とは持戒、智慧、道心、慈悲である」と教えられている。
     法然門下にはこの当時まだまだ聖道門の考え方の門弟がたくさんおられた。という話に。

7 月31日 盂蘭盆会。10数名のお参りをいただいた。勤行の後和讃の話、弥陀成仏についてお話させていただいた。

7 月17日 青草人の会。歎異抄の異なるを歎くの具体論の2回目。14章では念仏すれば罪が滅するという教え。
      これは観経下下品に出てくる教えですが、これは人々を念仏のほうに導くための方便の教え。15章は
      煩悩具足の身で即身成仏できるというもの。肉体を持ったまま成仏されたのは釈尊だけで、本願によって
      いただけるのは必ず仏になることが約束された身になるということ。16章は回心はただ一度ということ。
      悪いことをするたびに反省するのは道徳であり、真実の生き方をもとめて人生の方向転換をするのが
      宗教。悪いことをして心を痛めても、必ず救われているという安心をいただける。17章は辺地に往生
      するものはお往生できないという教えは誤りであるということ。始めは自力の心が捨てられずとも、その道
      を歩みだしたものは仏さまは決して見捨てられることはない.18章は寄進の多少によって救いに差がある
      ということはないということ。財があるかないかは縁によるのであり、それによって仏の救いに違いはない。

7 月15日 墓供養。ちょっと雨の心配をしなければならないような天候だったので、暑さはしのげたのでよかった。
      20名弱のお参りがあった。このところ「倶会一処」碑への納骨も増えてきた。納骨のあり方も変わってくる
      時代にいかにその変化に対応していけるかが大事になってくる。

6 月19日 青草人の会。歎異抄後序の1回目。「右条々は信心の異なる」とあり、歎異抄異なるを歎く書の要点は11条
      から18条に書かれていることだということがわかる。11章は誓願と名号どちらが大事かと問うのは過っている
      ということ。これは親鸞聖人のお手紙にもあるのでそのころから言われていたことか。第一章に「誓願不思議
      にたすけられまいらせて・・・念仏申さんと思い立つ心の起こるとき」とある通り。12章は学問して理論武装しな
      いといけないか、という過ち。これも第二章にそれが知りたいなら南都北嶺に聞きに行けばいいと厳しく言われ
      ている。妙好人の因幡の源三は手に持っていた荷物を牛に預けたら楽になった、そこで全て阿弥陀さんに
      お任せすればいいという信心を賜ったという逸話があり、学問ではなく縁によって信心が得られるということ。
      十三章は本願ぼこり、

5 月15日 青草人の会。歎異抄十八章の五回目。他力に心を投げる、とは他力のはたらきを心から信じるということ。
      私たちがこの世で生きていくために必要なものは仏様がご用立ていただいている、そのことをわかりやすく
      私たちにお示しいただいているのが大黒天、七福神のおひとりで神様のように思われているが、元々は仏教
      の仏さまで米俵の上に立っておられるのは食べるものをご用立ていただいているということ、小槌を持って
      おられるのはお金をご用立ていただくということ、袋を担いでおられるのは生活必需品をご用立ていただく
      ということをお示しいただいている。だからすべてお任せすればいい、それを自分で何とかしようと思うから、
      田あれば憂い、田なければ憂うということになる。すべての根源には信じるということがある。1万円札は
      その紙に印刷された原価は30円もしないようなものだけれど、1万円の値打ちがあると信じているから、大事
      にする。物や金に執着するのでなくご用立ていただいている、それが途切れればこの世のご縁が尽きたという
      ことで死んでいくしかない、その理を信じておれば何の不安もなくなる。

5 月 8日 御遠忌法要に楽僧として参勤。久しぶりの楽僧としての参勤だったが、やはりご門徒さんと一体となって
      勤められる御遠忌は末寺にとってとても大切な法要であることを実感した。

4 月24日 本山の春の法要で准堂衆に多くのコロナ感染者が出たことを聞いた。研修道場で泊まり込みという状況
      は一人でも感染者がいればクラスターが起こるのは自明の理。法要のあり方を考え直さないとまた起こる。

4 月17日 青草人の会。歎異抄十八章の4回目。施物の多少によって大小仏になるというような論者は、六波羅蜜
      の行の壇(布施)波羅蜜の行を思い浮かべているのかもしれないが、それはとんでもないことだ、という話。
      龍樹菩薩の十住論に布施のことが説かれてあり、布施行を行うにはまず仏に礼し懺悔を行い、心柔軟にして
      信心が進み、布施の心が生じる、と説かれてあります。心柔軟とは33願にあるように自分が、という堅い心
      ではなく、結果を気にすることなく悠々と仏事を行う、こうしなければならないという思いつめたものでなく、
      自然に行じられていく。ちょうど鯉のぼりがまず口で風を受け(聞)胴体を風が吹く抜け(信)しっぽの部分
      から出ていく(称)。その称えられた念仏がまた他の人に届き信が生まれる、これこそ利他行ということで、
      決してこうしないといけないというものではない。という話に。

3 月26日 7組の同朋大会が天満別院で。講師にテレビでもおなじみの釋撤宗師をお招きしてご法話いただいた。
      さすがに流暢で話の引き出しが多く、聞きやすいお話。島根では今でも二百回忌の法事が勤まるとか。
      それだけ心の時間がゆったりと流れているということで、現代はせかせかしてゆとりのない生活になって
      しまったが、時間の過ごし方を考え直していかないといけないのでは、というお話も。

3 月21日 春の彼岸会。30名弱のお参りをいただいた。沼田先生のお話もわかりやすく、皆様も熱心に聞いて
      おられた。三毒の煩悩を貪欲はドーパミン、瞋恚はアドレナリン、愚痴をセロトニンと身体のはたらきを
      例に出してお教えいただいたのは、現代的でよかった。

3 月13日 青草人の会。歎異抄第十八章の3回目。「大念は大仏を見て、小念は小仏を見る」という大集経の
      引用について。そこからこじつけて施物の多少によって大きい仏になったり、小さい仏になったりする
      というのはおかしい。今回はこの大集経の文について、聖人は化身土巻末に引かれている。法然上人
      の選択集に引かれていて、大きい声で念仏すれば大きい仏を見ることができるという肯定的に解釈され
      念声是一と教えられた。それに対し明恵師が心に属する念と行為に属する声を同じというのはおかしいと
      批判された。それに対して親鸞聖人は「念と声とはひとつこころ」とあくまで心の問題であると断じられた。

2 月23日 とうとう特殊詐欺の電話がかかってきた。休日にもかかわらず区役所の健康保険課ですが、というところ
      から明らかに怪しい。それを指摘するとすぐに切れたが、あまり気持ちのいいものではない。

2 月20日 青草人の会。歎異抄第十八章の2回目。方便報身という言葉を中心に。唯信鈔文意から法性法身
      と方便法身に違いを明らかにし、方便法身をご本尊としていただいている有難さ、その根源となるのは
      阿弥陀如来の因位である法蔵菩薩のあらゆる人を摂め取って捨てないという願い、そのお心に手を
      合わす。阿弥陀仏のおはたらきに感謝するのは当然ですが、そのおはたらきに気づかせていただく
      南無、帰命する心をさしむけていただく法蔵菩薩がありがたい、そういう心持をいただいているという
      話に。

2 月10日 組会をリモートで開催。ズームを使った会議だったが、40分で途中切れ。なかなかこういうものは
      難しい。

2 月 9日 教務所に総代と責任役員の届を提出。しばらく空席になっていたので、ようやく寺としての体裁が
       整った。

1 月16日 青草人の会。歎異抄第十八章の1回目。寄進を多くした人は大きな覚りを得られるというのは
       どこにもそんな教えはないということ。選択集には造像起塔するものより念仏の行が優れていると
       教えられている。これは「往生要集」からの引用だったが、親鸞聖人はそこのところはあまり引用
       されていない。源信、源空両師は京都で教えを説かれていたから、そういう教えを説いていく必要が
       あったかもしれないが、関東で教えを説かれた聖人にとっては造像起塔するものなどもとよりおら
       なかったからそうこだわられなかったということか。蓮如上人は「堺の日向屋は銭を多く持っていても
       往生はとげられまいが、大和の了妙はまともな着物もないが往生を遂げられる」という話をしたら
       ご門徒の方から「ちょっと日向屋さんはひどい言われ方」と言われていたが、確かにこういう言い方は
       上人といえどもあまりよくないと思う。ただ了妙さんの逸話で了妙さんが蓮如上人に「糸車を回しながら
       念仏申しております。」と言われたら上人が「それは違うぞ。念仏もうしながら糸車を回している、という
       べきだ。」と諭されたお教えをお伝えした。

1 月 3日 初めて北斎場の釜の前だけの告別の仏事。よく存じ上げている方だっただけにさみしい気もした。
       時期が時期だけにこういう形になるのもやむ負えないかもしれないが。

1 月 2日 修正会二日目。8名ほどお参りいただいた。

1 月 1日 修正会。昨年紅白を見ていて、心に刺さった歌があり「命に嫌われている」という恐ろしい歌詞。
       今どきの歌なので早口ですべての内容は聞き取れなかったが、最後に「生きろ」と連呼していた
       からそういう歌だったのだろうが、命に嫌われる、という言葉が現代的な表現で、これは自身は
       罪悪深重の凡夫と同じだと思った。ここまで厳しい言葉が若い人から出てきたのには驚いた。

    令和 四年

12月31日 除夜の鐘。今年は120名くらいおいでいただいた。昨年よりは多かったと思う。少し寒かったが
       風がなかったので

12月19日 青草人の会。歎異抄十七章の二回目。他力の信心がかけている人も、必ず救いとるという
       阿弥陀様のお慈悲のはたらきで大経の19願20願が建てられている。19願はまず救われたいと
       いう願いを持つ。観無量寿経の韋提希夫人のようにまず今の苦しみを逃れたい、そういう人には
       自分で何かをする、これだけのことをしたからこれだけの結果が得られるという、人間の考え
       に近い教えで救いの門に入る。そしてそれがかなわないということがわかってきたら、ただ
       念仏しなさい、念仏によって救われるという教えが説かれます。それが阿弥陀経で、ここでの
       聞き手は智慧第一の舎利弗ということになっていますが実はそこにおられたのは知恵はない
       また身寄りもない貧しい人たち、それはこのお経が説かれた場所が祇樹給孤独園、孤独な人に
       給付を与える場、今の老人ホームのような場所で教えを説かれたわけですから難しい修行や
       学問は無理、そこで誰にでもできる念仏という行を勤めるように勧められた。しかしそんな簡単な
       修行で本当に救われるか疑問を持たれるかもしれないのであえてその場にいた舎利弗に説き
       智慧第一の者にも同じ教えを説いていると安心させるようにお釈迦様が慮られた。そこで
       南無阿弥陀仏にお出会いするとやがて南無阿弥陀仏に収め取られていく、吸収されていく。
       そういう話に。

11月21日 青草人の会。歎異抄十七章に一回目。辺地の往生ということは浄土の辺鄙な場所に
       生まれるということ。そもそも浄土とは、仏様のまします世界、つまり仏様の働きを感じ
       て生きていける世界ということになる。なにごとも親さまのおかげといただいてこられた
       念仏者はお浄土に生きておられたということになる。ただ命ある限りは煩悩があって苦も
       いただくことになるがいつでも「おかげさま」の世界に帰っていける。ただしそれを自分の
       知恵で何とかしようとすると、仏様から遠くなってしまう。そこが辺地。ただ人間はどうしても
       自分の知恵でなんとかしようとしてしまうので、阿弥陀様はそういうわれわれのために道筋
       をつけていただいて、はじめは自力の善をしなさいというわかりやすいところから導いてくださる。
       だから最初は辺地であっても必ず救われていくことを疑ってはいけない、という話に。
       午後から本山御正忌に楽僧として出仕。集会に早く着きすぎたが、年配の者ほど早く着いた
       ようだ。年を取ると心配症になるというか、いろいろ経験を重ねて遅れそうになった記憶が
       頭をよぎるからか。ともかく年寄りの一員になっていることは事実。

10月19日 青草人の会。歎異抄十六章の4回目。欲望の底に命をつないでいきたいという願いが
       ある。これはあらゆる人が持っている願いであり、その願いにおまかせする。欲望が
       多いほどその願いも深い。そのことをこの章では「ただほれぼれと」と表されている。
       自分の知恵でなく自分があこがれるような働きにお任せする、そのはたらきをご恩と
       いただき、恩があれば必ずそれに感謝する思いが自然にわいてくる、それが念仏
       成仏自然なりということ、というような話に。

10月13日 報恩講。内陣法中を当住若院ふくめ4名で助音とともに張り切って真四句目を勤めた。
       法話は松山先生。やはりご法話を聴聞させていただくのはありがたい。このところ住職
       が話をしているので、聴く方に回ることがなかったから余計にそう思えた。

9月23日 秋季彼岸会。15名くらいの参詣。コロナ感染の状況を考えるとよくお参りいただいた。
      御伝鈔の第五段と六段の拝読と解説。五段では選択集の書写を許されたということが
      どれだけ法然上人の信頼を得られていたかという話。六段は自力修行を捨てられない
      のは我々自身の中にもそういう思いがある。そこをはっきりさせていかないと他人事に
      なってしまうという話に。

9月12日 青草人の会。歎異抄16章3回目。回心ということをもう少し訪ねた。山伏弁円の場合、
      親鸞聖人を打ち取ろうとして、館に赴いたところで聖人と会い、回心された。この場合
      念仏の教えに帰依した、ということよりもわが身に真実に目覚められた、ということが
      大きい。信心のあり方として法の深信と機の深信があるが、回心の場合は機の深信
      の発動がメーンとなることが多い。聖人の場合は「雑行を捨てて本願に帰す」だから
      念仏の教えに帰依したことが回心となるのだろうが、佐貫での三部経読誦の体験が
      わが身の真実に目覚められる契機となり、そのことは十数年後にも夢に見られるほど
      だから回心と言ってもいい大きな転換点だったと思われる、という話に。、

8月25日 新型コロナウイルスの感染者が増加の一途。ワクチンを接種しても感染の恐れはある
      ということでどうしようもない。早く特効薬のような物ができない限りこういう状況は続く
      ことだろう。いろんな今まで行われてきたことが途切れてしまうことになる。真宗の宗風
      も途絶えつつあったことが加速しそう。それを何とか食い止めるためにも、行事を
      途絶えさせてはいけないと思う。

8月15日 今年のお盆は雨続き。こんなお盆は初めて。車で回る分には涼しくていいが、自転車
      でまわるご近所のお参りはちょっときつかったか。

8月 1日 盂蘭盆会。15名前後の参集。阿弥陀経、正信偈。話は「末代無智」の御文のこころ。
      御文とは、というところから始めて、蓮如上人は本遇寺開基に教えを伝えられた方で、
      ご本尊として阿弥陀如来の御絵像を下付していただき、その裏書に方便法身尊形と
      書かれてある。方便とは私たちにわかりやすいように仮に形をもって現れて下さった
      ということで、如来の真実ははたらきそのもの、色も形もない。そして私たちはすでに
      そのはたらきをいただいているからこそ、命をつないでいっている。だから佛たすけ
      たまえ、ということはすでにはたらきをいただいていることに心の底から感謝すると
      いうこと。そのことを表された御経が仏説無量寿経であり、そこに書かれてある本願
      の十八番目の願こそ我々の真実を明かにされている、という話に。重要な内容が
      凝縮された御文だけに1時間の話で全てをお伝えするのは難しい。

7月23日 いろいろなことがあったがオリンピックが開幕する。これだけけちの付いた大会も珍しい。
      本当は何年か延期した方がよかったのだろうが、とりあえずやってしまえ、という危うい
      選択。まあこの状況で全ての選手が最高の実力を発揮できるとは思えないので、日本だけ
      好成績を収めてもあまり喜べない。

7月18日 青草人の会。歎異抄16章の2回目。回心ということを親鸞聖人は「自力を捨てること」と
      おさえられ、本願念仏を信じることによって救われる身になることと教えられます。譬でいうと
      ひよこが卵から生れ出た時、まず目に入るのが自分を覆っていた殻。つまり自分でなんでも
      できるという考えに凝り固まって真実が見えていなかったという状態であったことが明らかに
      なった。そしてもう一つ見えてくるのが自分を生み育ててくれている親鳥の存在。この親鳥は
      殻の中にある時も外から温めてくれていた、そういう存在があるという子に気が付く。それが
      回心ということになる。

7月15日 墓供養。15名ほどのお参りをいただいた。前日夜に雷雨があり、この日も黒い雲がきている
      ようで心配したが、雨は降らず、雲が太陽を遮って暑さも押さえられてよかった。

6月18日 青草人の会。歎異抄第十六章の1回目。「回心はただ一度」ということを親鸞聖人、法然上人、
      そして清沢満之師の例をもってお話した。特にわかりやすく思えたのは、清沢師がローマの哲学者
      エピクテタスの教えによって、如意なるものと不如意なるものを区別する、ということを会得され
      絶対他力の妙用を確信されたことが、現代の私たちにまでつながる真宗の教えの肝要となった。
      歎異抄や教行信証の理解に西洋哲学を援用されたことによって、より現代に通じるようになった。

5月28日 コロナウイルスのワクチン接種を受けた。大阪国際会議場は徒歩5分くらい。午後1時の予約
      だったが10分前に着いたが人はまばらで本当にここでよかったのか、と思ったくらい。案内の
      人も多くおられスムーズに会場まで行けた。受付もたくさんあり、2人くらい並んでおられただけ。
      ただ接種会場が10階でそこまでスカレーターで行くのが大変と言えば大変。問診と接種は続いて
      行われ、ほとんど痛みは感じなかった。次の予約をして15分くらい待機して帰路に。、

5月17日 午後1時からコロナウイルス接種の申し込み。1時前からスタンバイして始めは、しばらくお待ち
      ください。ということだったが、10分過ぎに予約できた。いろいろな方のお家に上がらせていただく
      ことが多いので、ご迷惑をおかけする可能性を減ずることができそうで、とりあえず安心。

5月16日 青草人の会。歎異抄15章の最後。覚りを得るのを目標とするのが聖道門、信心を得るのを目標
      とするのが浄土門。世俗と離れ戒律を守って煩悩を断じるのが聖道門、自分には煩悩しかないと
      自覚するのが浄土門。そういうことを知らせていただくような歌に「わが身より 重症の人を見る 
      わが眼 なんて卑しい なんて哀しい」わが身の真実を知ることが、救いをいただく入口。そして
      何でも聞いていくことができるというのが救いのあり様。わかったではなく、わからないということを
      知らせていただ、それが信心をいただくということという話に。

4月18日 青草人の会。歎異抄15章3回目。浄土門の救いは死後に仏になることか、というテーマで、口伝鈔
      にある親鸞聖人と法然門下の高弟との論争で体失(死んでから)往生するのか不体失(生きている
      うち)往生できるのかということで、宗祖は不体失の立場で法然上人におたずねになったところ、
      体失は諸行往生、不体失は念仏往生と教えられました。生きている間に進むべき道が明らかに
      なることが往生、往生は心にあり、成仏は身にあり、というお教えもある。末灯鈔に「信心の人は
      その心すでに浄土に居す」と言われている。それでも往生は死んでからとのたまう方がおられるのは
      理解に苦しむ。
      夕方のTVニュースで寺院の火災の映像に唖然とする。

3月21日 春の彼岸会。25名近くの参詣をいただく。沼田先生にご法話いただく。わが身の事実をさらけだして
      それを深刻にならずに面白く語られる話術の感嘆。

3月14日 青草人の会歎異抄15章2回目。。「来生の開覚は他力浄土の宗旨」とありますが、真宗では正定聚に
      住す、浄土に往生することが定まった身になることが、救いの目標です。煩悩を持ちながら煩悩に
      苦しめられない存在になる。清沢師は「我他力の救済を念ずるとき 世に処する道開く」「死んで
      からのことは経験していないのでわからない」と生きている間の救いをはっきり述べられています。
      わが身の上に本願が働いている、それに応えるには念仏申すしかない。別の道がない、ということ
      こそが救いになっている。二河譬にあるように前に進むしかないと心が決まったときに救いが実現して
      います。臨終を待つ必要はありません、という話に。


3月 1日 彼岸会の案内 印刷。
      今日の音楽 ソニー ロリンズ「WAY OUT WEST」

2月21日 青草人の会。歎異抄15章の1回目。本願念仏の教えにおいては今生でさとりを得る、成仏する
      と思うのは誤りであるということ。真言の教えでは修行によって即身成仏できると説かれる。また
      法華の教えでは修行によって六根を清められると説かれる。真言の教えは密教といわれるが、それは
      応化身である釈尊が説かれたというよりも法身佛が直接解かれた教え、つまり人間の言葉で説かれた
      のでなく、法そのものから説かれた教えであり、凡夫には理解することが困難。たとえば理趣経には
      男女の性行為は清浄であり菩薩の本意と説かれている。これは仏の目からみれば性行為も自然の
      営みの一つであるということになるということらしいが、煩悩具足の凡夫には難しすぎる。ただ空海の
      言葉に「草木なお成仏す。いかにいわんや有情おや。」とあり自然と一体になるという教えであることは
      うかがい知れる。六根を清めるというのは行によってマナ識を超えてアラヤ識に至るということであるが、
      本願の教えでは阿頼耶識から願いが起されて私たちはそれを信じていくしかないという教えという話に。

2月12日 青草人 印刷。

2月 8日 今月は短いので今週の内に青草人の原稿執筆。

2月 7日 お勤めのお稽古。 

1 月28日 青草人 印刷。

1 月24日 青草人 原稿執筆開始。コロナ緊急事態が出ているので、youtubeでお勤めをというご要望が
      あり、本堂で録画、youtubeで限定配信。久しぶりで手順を再確認。

1 月21日 あるご門徒さんとの話の中で、大谷派で今、一番重鎮のご法話の先生の名前が出てこなかった。
      その方ももともと愛知県西部ご出身で、若い時から桑名出身のその先生のお話をよく聞かれて
      おられたのに、お互いあの先生ということで名前が出てこなかった。「い」がついて地名に関係して
      いた気がして、出雲先生だったかな、いや違うなと自問自答していたが出てこなかった。
      ご門徒さんは八十代の方なのにこちらも同じ忘れ方で恥ずかしかった。
      寺に帰ってすぐ調べた。師の名前は池田勇諦先生だった。
      今日の音楽 ドビッシー「映像第1集」 ミケランジェリ

1 月17日 青草人の会。歎異抄14章 最後。臨終のときに正念である必要は、正しい信心を得ていれば
      必要ない。そのことを初代講師慧空師は、仮病を装って臨終間際に「地獄の火の車が迎えに来た」
      とか口走り、弟子たちが慌てる様子を見て戒められた話をした。さらに本願を摂取不捨の願と
      記されていることを受けて、法蔵菩薩はご自身が罪悪深重の凡夫であることを世自在応佛によって
      教えられ、自分が救われるためには自分が苦しみをもたらした一切衆生の苦しみを安楽にして
      いかないと自分が救われない、それこそが法蔵菩薩の魂である。それは法蔵菩薩が元国王であった
      こと、つまり多くの国民の苦しみの上に王としての栄華があったことへの慚愧の念があったに違いない。
      そういうう話に。(ほとんど暁烏師の本による)

1 月12日 今朝は寒かった。庭の水道が凍ってでなかったし、墓の水も凍っていた。こういうことは久しぶり。

1 月10日 お勤めのお稽古。いつもの皆さんのお集まりいただいてよかった。粛々と日頃の行事をしていかないと。

1 月 8日 またコロナ感染者が増えてきて、緊急事態宣言に。12月忘年会などが多かったのでは。政府の施策
      も後手後手が多い。

1 月 5日 今日から仕事始め。穏やかな日和でよかった。

1 月 3日 昨夜録画しておいた映画「ララランド」を見た。途中まで古いアステア、ロジャースのような
      アメリカ映画かと思ったら、最後はつらい終わり方。これが現実だよ、という感じだったが、どうも
      納得がいかなかった。映画は夢なんだから、最後はハッピーエンドの方が心が休まる。やはり
      「ヘブン アイムイン ヘブン」でないと。、

1 月 2日 2日の修正会は5名ほどの参詣。今年は聖徳太子の千四百回忌に当たるというところから、太子
      の業績と、親鸞聖人が深く敬愛されていたことのお話をさせていただいた。
      夜 若冲のドラマを見た。なかなか面白かったが、いろんな技法を試しているような場面も欲しかった。

1 月 1日 今年の除夜の鐘はおそらく例年の6割強くらいの人出ではなかったか。そのあと修正会を勤めた。
      電車が止まっていたので遠方の方は来られず、人数は例年より少なかった。例年皆さんと一緒に
      いただくお屠蘇も今年はなしにして、少しお話させていただいてお開きにした。

         令和三年


12月31日  除夜の鐘準備。白いテープを下に貼って並んでいただく間隔を開けられるようにした。
       例年よりライトの数を減らして、多くの人が集まり過ぎないように配慮した。ポスターの掲示
       も当日夕方になってから。こういう時節なので仕方がない。
       除夜の鐘をついていただくときは使い捨ての手袋を着用していただいた。撞きに来られた人から
       意識高い系という声が聴かれた。それぐらいでちょうどいいと思う。

12月29日  年末夜警。今年はコロナ禍で9時からの一度だけ。

12月27日  今日の音楽  オスカーピーターソントリオ「ナイトライン」

12月26日  朝の小学生見守りの2学期最終日。昔は通知表と冬休みの宿題を持って帰るくらいだった
       ような気がするが、今の小学生はランドセルを持って普段と同じ荷物。今日も授業があるのだろうか。
       今日の音楽 ベートーベン弦楽四重奏曲15番 アルバンベルクカルテット

12月25日  青草人 印刷。掲示板 書く。

12月24日  青草人 原稿書く。

12月22日  年賀状 一筆書き添え。投函。今年は早くできた。

12月21日  年賀状印刷。

12月20日  青草人の会。歎異抄14章の三回目。救済の論理としてこの章ではまず光明が因となって
       金剛の信心が果として生じ、信心が因となって果として定聚の位に入り、定聚が因となって
       果として無生忍が得られる。念仏が因となって滅罪の果を得るということはない。源信僧都
       のお言葉に人一日八万四千の念(思い)があり、その念によって行うことは皆、三途の業、
       煩悩によっておこされる行いであるならば、人は滅罪のために一日中念仏申しておかなくては
       ならない。そういうことは不可能なことだ、というお教え。

12月17日  大雪で高速道路で立ち往生が発生したようだ。急な大雪は恐ろしい。

12月16日  今日の音楽 ベートーベン交響曲第九番 フルトベングラー指揮バイロイト祝祭管

12月10日  庭木の剪定。あるオーディオマニアのご門徒さんからレコードでも最初にレコード化された
       音が一番良くて、後になるほどオリジナルテープが劣化したり擬似ステレオ化されたりして
       音が悪くなるという話を伺い、その例として昨日聴いていた「クールストラッティン」のレコード
       の新旧盤を見せていただいた。あの素敵なジャケットのレコードが2枚も持っておられるのは
       うらやましい限り。

12月13日  ドラマ「疑惑のビーナス」最終回。東野作品のドラマ化ということで見ていたが、最後に主人公
       とビーナスが結ばれるエンデイングはよろしくない。原作では騙されていたことが明らかになって
       あっけにとられたままで終わっていたが、その方が余韻を楽しめる。まあ映像だと中途半端な
       終わり方は許されないのだろうが、「ティファニーで朝食を」でも映画と原作ではラストが違う。
       これは圧倒的に原作の終わり方の方がホリーゴライトリーの魅力の余韻がいつまでも印象に残って
       いい。

12月 9日  今日の音楽 「クール ストラッティン」 ソニークラーク 他

12月 6日  朝の会。お勤めのお稽古。
       今日の音楽 モーツァルト 管楽器によるディヴェルティメント

12月 5日  近くの病院に救急車が頻繁に出入りしているという話をあるご門徒さんの家でしたら
       偶々娘さんのご主人が救急搬送にたずさわっておられる方で、すいませんと謝られてので
       かえって恐縮してしまった。近くの病院は指などを欠損したらそれを治療するスペシャルな
       病院だそうで、そういう事故などの時はそこに運ぶとのこと。命を守る大変なお仕事をされて
       おられて、特に今はこういう事態なのでただただこちらから感謝申し上げるしかない。

12月 4日  天王寺にて民生委会議。コロナ禍では話が進めにくい。

12月 2日  今日の音楽 F.アステアストーリー アステア、ピーターソン他

12月 1日  掲示板 張替え。

11月30日  青草人 原稿校了。印刷。

11月27日  午後久しぶりの散髪。夜 町会長会。

11月23日  青草人 原稿書き始める。

11月20日  午後 中之島の公会堂にて人権研修。引きこもりへの対処法など。
        今日の音楽 エリックドルフィー「アウト トー ランチ」

11月19日  夜 地域の民生委。

11月18日  夕方 国立国際美術館。ロンドンの国立美術館蔵の絵画を鑑賞。散歩がてらに
        ゴッホ、フェルメール、セザンヌ、モネ、ルノアール、レンブラント、ドガ、ゴヤ、エル・グレコ
        ゴーギャン、コロー、ベラスケス、アングル他名画と出会えるのはありがたい。

11月17日  午後区役所にて民生委の会議。

11月15日  青草人の会。歎異抄十四章の二回目。罪を滅するのでなく、罪を転じて善とする。
        善とは道徳的なことではなく、宿善、念仏の教えをいただくための縁となるということ。
        それは光明に照らされてなる。光明の徳は一つは見えなかった真実を明かにすること。
        例えば「けしの実」の教えのように自分だけが不幸という思いを破っていく。もう一つは
        進むべき道が明らかになる、これは善知識と呼ばれる先を歩んでいる人の後姿を見たり
        教えを聞かせていただいたりして明らかになる。そうして信心を賜って正定聚、仏になる
        ことが定まった位に入ることができる。そのような話に。
        今日の音楽 モーツァルト フルートとハープのための協奏曲 マリナー指揮

11月13日  小学校で学校協議会。国や自治体のトップがオンライン授業を推奨しているが
        現場では問題が山積しているようだ。まず通信環境が整っていないので、一斉に
        授業を配信することが困難らしい。きちんと整備しようとすると多額の費用がかかる
        ようだ。上の方はすぐに時流に乗ろうとするが、その実施体制を確立してから
        話を勧めないと現場が混乱し、児童が困惑する。
        今日の音楽 「カウントベイシーソングブック」オスカーピーターソン

11月10日  今日から阪神高速工事。朝からヘリがうるさい。
        今日の音楽 ブルックナー9番クナッパーツブッシュ指揮ベルリンフィル

11月 9日  午前中 本堂自動扉工事。夕方 区社協より来訪。夜 区内寺院通夜参列。
        今日の音楽 ブルックナー8番3,4楽章クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル

11月 8日  夕方 中之島界隈を散歩。国際美術館前に珍しく人の列。
        ゴッホやフェルメールがきているらしい。
        今日の音楽 ブルックナー8番1,2楽章クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル
        購入した本 釋徹宗「天才 富永仲基」

11月 6日  午後区役所の区民児協事務局に提出物提出。
        今日の音楽 ブルックナー7番クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル
        購入した本 「合理的にありえない」柚木裕子 9日読了 将棋の話が面白かった。

11月 4日  京都国立博物館にて「皇室の名宝」展鑑賞。さすがに皇室所蔵だけあって
        保管が完璧。絵巻物も剥落が少なく色も鮮やか。若冲もあったが、岩佐又兵衛
        の絵巻物に感動。
        購入した本 皇室の名宝展 目録

11月 2日  一日中雨。
        今日の音楽 ブルックナー5番クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル

11月 1日  朝の会。いつもの皆さんにお掃除いただいた。そのあとお勤めのお稽古。
        大阪都構想 反対多数で否決。この数年間はなんだったのか。

10月31日  1日1万歩ほぼ達成。

10月29日  従兄姉の方が東京より納骨のため来訪。お一人とは数十年ぶりにお会いした。

10月27日  今日の音楽 ブルックナー4番「ロマンティック」クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル

10月26日  青草人原稿完成、印刷。
        今日の音楽 ブルックナー3番「ワーグナー」クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル

10月25日  今日の音楽 ブラームス 「ハンガリア舞曲5~21番」アバド指揮ウィーンフィル

10月24日  青草人 原稿書く。
        今日の音楽 ブラームス 「ハンガリア舞曲1~4番」アバド指揮ウィーンフィル

10月22日  夜 地区民生委会議。区役所生活支援課より4名+民児連事務局から現状報告。

10月20日  午後 区民センターにて民生委会議。本来区役所でするべき会議が、住民投票
        のせいで会場変更。

10月18日  青草人の会。歎異抄十四章の最初。一念の念仏で滅罪できるというのは、観経の
        下下品に書かれてある。観経は自力の教えのようであるが、顕彰隠密があり、本当に
        彰かにされたかったことは、弘願の他力によって救われるということ。

10月17日  昨日の夜から雨。一日中降り続いた。しかも気温が15度以下の寒さ。
        本堂にストーブを出した。
        今日の音楽 アルビノーニ オーボエ協奏曲

10月15日  午後教務所、帰敬式 礼金、書類届ける。
        今日の音楽「情炎」ディメオラ、パコデルシア、マクラフリン

10月14日  今日の音楽 「8:30」ウエザーリポート つまらん音楽やなあ。

10月13日  報恩講。20名弱の参詣。ご法話も短くしていただいて3時半に終了。
        4時から帰敬式。

10月12日  報恩講準備。今年は登壇しないので、礼盤かざりを略したので早く済んだ。
        今日の音楽 マーラー5番 バーンスタイン盤

10月11日  帰敬式 準備、法話原稿。
        今日の音楽 「フルハウス」 ウエス モンゴメリー

10月10日  数十年ぶりに猪名川霊園。思ったより遠かったが、田園風景にコスモスが咲いて
        風景を楽しめた。心配された天候も晴れ上がって、最高の納骨日和。
        今日の音楽 「クルセママ」 ジョン コルトレーン。昔は「welcome」がいいと思っていたが
        今では断然「クルセママ」のリズムが心地よい。ウエルカムは俗物的な気がする。

10月 9日  昨日今日と一日中雨。本堂内陣の立花。松の芯、花は菊。
       今日の音楽 ドヴォルザーク 「スラブ舞曲集」 スロヴァキア管

10月 7日  本堂内陣 清掃、内敷かける。
       今日の音楽 「FAR CRY」 エリック ドルフィー

10月 6日  午後 区役所。今年はベートーベンの生誕250年に当たるのに、コンサートがみな中止に
       なって、盛り上がらない、という話をあるご門徒の方からお聞きした。今年は仕方がない。
       7年後の没後200年に再度盛り上げるしかない。
       今日の音楽 ベートーベン ピアノソナタ「ハンマーグラヴィア」 バックハウス

10月 5日  仏具店、表具屋 京都へ。
       今日の音楽 ハイドン45番 48番 バレンボイム指揮イギリス室内管
       読書 「三体」

10月 4日  朝の会。お勤めのおけいこ(若院)
       今日の音楽 ハイドン44番 バレンボイム指揮イギリス室内管

10月 3日  高圧洗浄機による本堂外壁洗浄。
       今日の音楽 「フライミートウザムーン」 オスカーピーターソン トリオ
       読書 「三体」

10月 2日  教務所へFAX送付。工務店来訪。掲示板張替え。
       今日の音楽 ショスタコービッチ7番 3,4楽章、
               「スタデイ イン ブラウン」ブラウン ローチクインテット  

10月 1日  青草人アップ。昼の番組でショスタコービッチの7番の旋律がBGMで使われていた。
       今日の音楽 ショスタコービッチ7番1、2楽章。ヤルヴィ指揮 ロシア国立管
       読書 「三体」。

9月20日  青草人の会。歎異抄第十三章の六回目。唯信鈔の引用で、弥陀のはたらきがどれほど
       と思って救われないと思っているのか。つまり弥陀のはたらきは我々の知恵で推し量る
       ことはできないのだから、こんな悪いことをしたから救われないなんて言えないということ。
       唯信鈔のその引用された後に「高い岸の下に人がいて、自分の力ではその岸を登れない。
       岸の上に力の強そうな人がいて、その人が綱を投げおろしてくれて、それにつかまって
       上ってくるように促される。その時その人は信頼できるだろうか、だとかその綱は途中で
       切れないだろうかなどと心配していてはその岸を登ることはできない。ただその人や綱を
       信じて、感謝の気持ちを持って上るしかない。」と信心の有様を示された。

7月19日  青草人の会。歎異抄第十三章の五回目。猟師、漁師、商人、農民など生まれながら
       にして仏教の戒律を破ってしか生きていけない人々を「われら」と呼びかけられたのが
       親鸞聖人。猟師、漁師は殺生戒、商人は綺語戒(嘘をつく)、農民も殺生戒を犯している
       ことになる。農村地帯では最近まで虫供養といって田畑を荒らす虫を殺したことに対する
       供養が行われていた。昔の人々は命を奪っていることへの罪悪感を感じ取っておられた。
       現代は害虫駆除とか言ってそれが当然のように行われて、罪の意識がないようになって
       しまった。精神の荒廃の一因だろう。「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもする」
       とは恐ろしい指摘だが、人間は一瞬一瞬を生きている。今話を聞いていても次の瞬間、
       睡魔に襲われるかもしれない。キリスト教のマタイ伝にイエスがペテロに「あなたは夜明けの
       鶏が鳴くまでに三度私のことを知らないと言うだろう」と言うと「たとえ死ぬような目に遭っても
       あなたのことを知らないなどとは言いません」といったのに、結局三度「あの人のことは
       知らない」と言ってしまって号泣する場面がある。自分の思いと行いの違いに悲嘆する、
       そこから教えを真剣に求める心が生まれてくる。

7月15日  墓供養。梅雨が明けていないが曇り空で陽射しがなく、暑さはかなりましだった。こういう
       時節にもかかわらずたくさんの人にお参りいただいた。

6月21日  青草人の会。歎異抄第十三章の四回目。悪人正機だからといってわざと悪をなして
       往生の因としようとする者も宿業がわかっていない。自力をたのむことと同じ。阿弥陀仏は
       人間が善いことをしようとしても結果的に悪になる、そういう存在であることをすでによくご存じ
       でいて下さる。だから悪いことをしたものも必ず救ってくださる。人間が善いことをしようと
       して規律を守ろうとしても、それを行うのは宿業に依るのだからどうなるかわからない。
       仏教の救いの条件にあれをしてはいけない、という規律は不可能。

5月17日  青草人の会。歎異抄第十三章の三回目。私たちの行いというのは私の意志に
       よるのでなく様々な縁によって行為がなされる。庭掃除をしていて木の枝を折って
       しまった。自分ではよいことをしているつもりでも結果的に悪いことになってしまった。
       あるいは知人に「今日はきれいな服を着ていますね」と自分では褒めているつもり
       でも相手は「いつもはきれいでない服を着ているとみていたのか」と傷つけられたかも
       しれません。私たちの在り方は「一生造悪」であり、弥陀の本願はそういうものこそ
       救われる。四十八願の第一願は仏の世界には地獄はないようにする、地獄とは
       閻魔様によって自分の行いの裁きを受ける世界であり、そういう裁きのない世界が
       仏の国。本願を信じるには善人になろうと努力する必要はない、悪を反省することも
       いらない、ただわが身の在り方を懺悔、恥じ入るしかない。上皇后さまの作られた歌に
       「知らずして われも撃ちしや 春たける バーミヤンの野に みほとけ在ず」とありますが
       仏像を破壊したものを憎むのではなく、自分もしらないうちに誰かの大切なものを破壊
       しているかもしれない、というわが身に引き受けていくあり方が真実のあり方だと思う。

4月19日  青草人の会。歎異抄十三章の二回目。ウサギや羊の毛の先のような小さな罪で
       あってもそれぞれの人間が背負っている過去の行いの結果でないものはない。
       我が子に虐待してしまう親は自分も虐待を受けていたことが多い。仏教では
       因(種をまく)縁(太陽の光や雨、土、温度、)果(花が咲く)といわれて、因は自分
       の行いのようであるが、種をまくにも種が手に入る、種をまく力がある、時間もある
       その場所もある、といういろいろな条件によって種をまくということが成り立っているので
       あればそこにも様々な縁=宿縁(過去)、業縁(行為)があってはじめてその行為を
       遂行できる。聖人が唯円に「千人殺してこい、そしたら往生できる」といわれて唯円が
       「一人も無理です」と答えたら、「それはそういう縁がないからできないのだ。もし縁が
       整えば千人殺すこともある」と教えられた。わが心の良くて殺さないのではない、縁が
       ないから殺さないだけだ、ということ。

4月1 日  コロナウイルスの感染予防のためあらゆる会合、行事が中止となった。正直ここまで
       する必要があるのかと疑問に思うが、もとより家にこもるのは苦にならないので
       まあよしとしよう。

3月21日  春の彼岸会は一堂に集まって勤める形はなしにして、お参りになりたい方は本堂か
       各家のお墓で勤める形にした。何人か墓の前で勤めさせていただいた。

3月15日  青草人の会。今月から歎異抄第十三章。「本願ぼこり」というのは、本願は悪人
       も救うからといって、悪を恐れないのは本願に甘えているようなものでいけないことだ、
       ということをいう人があるがそういうことを言う人はお浄土に往生できない、といわれ
       ている。うっかりすると逆の意味に捉えそうだが、悪をしないようにするという考えが
       あやまっているということ。仏教の教え「諸悪莫作」といわれて悪をなさないようにする
       とおもわれがちだがそれは聖道門の仏教。悪いことをしないようにと思ってもしてしまう
       のが私たちの在り方。それを暁烏師は「無責任主義」といわれて、すべての責任を
       負ってくださるのは阿弥陀様、私たちは阿弥陀さまを信じるほかない。それは親鸞聖人
       の教えが人間の在り方を厳しく見据えられたからこそ開かれてきた教え。例えば
       源信さまは「極重悪人唯称仏」と悪人でも念仏を称えれば救われる、悪をなげうって
       善を修する、いってみれば敬虔な気持ちで頭を下げるという感じ。法然上人は、
       いずれの行も成し遂げられぬ身、できることなら悪はやめたほうがいいができないならば
       そのままの身で念仏申しなさい、ということでただ頭を下げるしかない、という感じ。
       親鸞聖人はいずれの行も及び難き身、源信さまや法然さまの罪悪感は道徳心の反省
       みたいなところがあるが聖人の場合は罪悪は我が身の事実、初めから頭の上がらぬ身
       という感じ、という話に。 

1月20日  地区の防災研修。クイズ形式の答えをグループで出し合うという形式は
       よかった。ただそのあとの話し合いは時間的に苦しかったので、中途半端。
       前半だけでよかった。

1月19日  青草人の会。歎異抄12章のところ。聖人の言葉で「仏が経典に、この教えを
       信じるものも謗るものもある、とかかれてある。現実に信じるものもあれば謗る
       者もあるので仏説は正しい。故に経典の教えは間違いないという、聖人らしい
       論理の展開。誹謗正法のことかと思うが、念仏の教えは万人に開かれたもの
       だが、なかにはそれを受け入れられない人もある。蓮如上人は無宿善といわれて
       いるが、この善は道徳的なことではなく、念仏の教えを受け取るのに合っている
       というくらいの意味。自力に拘る人、たとえば聖人と同年代の明恵上人のような
       人は本願念仏の教えには合っていない。われわれのような「いずれの行もおよび
       がたき」者こそ本願念仏の教えに遇うことができる。

1月18日  子育てサロン。今回も1組だけ。寒いこともあるが存在意味を考え直す時期か。

1月16日  地区の民生院児童委員の新年懇親会。昨年と同じ店だったが、リーズナブル
       であることは確か。

1月10日  組会。今年度の旅行は中止に。

1月 7日  区の新年祝賀会。民生委員の活動報告も皆さんに無理を言って早めに
       出していただいたので、一緒に提出できた。

1月 5日  法事が西宮の方であり、帰省ラッシュで車が混んでいたらどうかと心配
       したが、案外空いていた。もっと早く動いておられるのだろう。

1月 4日  もう仕事始め。

1月 2日  修正会、二日目。お勤めの後おせちを皆さんといただいた。

1月 1日  除夜の鐘から修正会。除夜の鐘はいつも通り200名弱の方に撞いて
       いただいた。今年も外国人の方が何人かおられた。日本の文化に出会って
       いただけたらうれしい。
   

           令和2年



11月29日  福島区の民生委員児童委員大会がリーガロイヤルであった。第2部の
        司会ということで緊張したがシナリオも用意していただいていたこともあり、
        なんとか無事に職責を全うした。

11月24日  組内最後の報恩講。ご住職を足を悪くされていたので、代りに導師を
        勤めさせていただいた。

11月21日  夜 地区の民生委の会議。委員長会を換りの方に出席していただいた
        が、その方がそれぞれの議案について付箋をつけて説明していただいて
        いたので大変助かった。

11月20日  夜地域の懇親会。ちょっと他に心配事があってまったく楽しめなかった。
        まあこんな時もある。

11月17日  青草人の会。今日から歎異抄十二章。知恵によって救われるのでない。
        わが身の事実に気づいていくことによって救われていく。それを
        他力と教えられている。気づくということは自分の知恵ではない。
        知恵にとらわれると気づけなくなってくる。「生まれ子が 次第次第に
        知恵つけて 仏の遠くなるぞ悲しき」という一休禅師の歌を紹介
        してこんかいのまとめとした。

11月16日  子育てサロン、今日は快晴でどれだけ来ていただけるかと思ったら
        この3年で初めて0人。天気が良すぎたのと、小学校で行事があったこと
        七五三にあたっていたことなど理由は様々だが、考えさせられる。

11月10日  秋晴れの1日。天満別院で長男の結婚式。厳粛にしていただいて
        よかった。別院の雰囲気は今大阪では天満が一番いいように思う。
        建物も明るく結婚式を挙げるのには一番ふさわしい。何より輪番以下
        職員の方々の対応も素晴らしかった。帰るときに職員の方が並んで
        お見送りいただいたのには感動した。

11月 6日  午後「8050問題」の講演。引きこもっている人が増えていく状況の中で
        地域としてどうかかわっていくのか難しい問題だ。関わりたくないから
        家にひきこもるのだから、なにかきっかけ、共通の関心事を見つけて
        いくしかないように思う。それにしても家にずっといて何をされているん
        だろう。個人差はあるだろうがそれがわかってくれば解決策もありそう。   

10月31日  福島区仏教会の旅行で高野山へ。二度目だが案内の方が懇切に説明
        してくださったので大変良かった。京都から離れたこの山の上で仏道の
        道場を開かれたのはやはり天才空海の先見の明が光る。それにしても
        今でも上まで行くのに大変な道のりだが1200年前にここに来られて建造物
        を作られるとは、当時の土木技術に感心する。

10月28日  難波別院の報恩講に楽僧で参勤。後継者の方は所作がゆっくりなので
        時間がかかる気がする。丁寧でいいのだが、やはり式文嘆徳文を読まれる
        というか巻物をまくだけに時間を費やすのはどんなものか。今の言葉で
        聖人の徳を、教えを語るようにしてもらいたい。

10月25日  午後から報恩講に助音で参勤。参勤された方からいつもより低かったので
        声が出しやすかったといわれた。自分ではそんなつもりはなかったので
        こちらの声が低くなってきたということか。夜は学生時代に友人と1年ぶり
        の宴席。記憶を共有している者同士はすぐにその共有している時代に
        戻ることができる。

10月22日  組内の寺院の報恩講。自坊以外の報恩講に参勤するのは今年初めて。
        もうすぐ助音で参勤させていただくことになっているので、ちょっと張り切って
        声を出した。まだ報恩講モードにはいまひとつ延びがないか。

10月20日  朝の会はお掃除だけで、青草人の会は中止。初めからご都合の悪い方が
        おられたし、区民まつりの順延で来られなくなった人もあられたので。
        午後から民生委員児童委員協議会のブースでアンケートとジップロックを
        配布。物をもらいたい方がたくさんおられたので(私も含めて)時間内に
        予定した分を全て配布し終えた。

10月19日  区民まつりが順延になった。朝は降っていなかったが天気予報では雨が
        降る時間帯がありそうで雷注意報も出ていたので仕方ないが、こんなに
        頻繁に順延があるのも困りものだ。次の日に予定を入れている人もある
        だろうし、秋のこの時期はまだ台風が来る恐れもある。時期を考えるべき。

10月17日  夜 民生委の地区会議。来月の委員長会議の代理出席を依頼、3年目で
        初めてのことなので許されるだろう。考えてみるとどうしても都合の悪い日が
        第3週に来るのはいまのところ3回あるが、その内2回は今年月曜で、来年は
        うるう年だから水曜になりそう。しばらく大丈夫そう。

10月16日  台風19号の被害が深刻だ。大量の降雨による河川の氾濫で多くの家屋が
        床上浸水のひがいに遭われたようで、深くお見舞い申し上げます。昨年の
        強風の台風に続いての大きな被害で、これが地球温暖化によるのか、
        そういうサイクルにめぐりあっているだけなのか、定かでないが、あと数年は
        注意が必要ということだ。

10月15日  午後から民生委員長会議。3年目の改選に向けての行事が多くなってきた。
        いつの間にか民生委員も18年目。期間のわりに仕事をしていないことを痛感。

10月13日  報恩講。前日は台風の大雨でどうなることかと思ったが、なんとか晴れて
       くれた。今年の表白は以下の通り。
       親鸞聖人 今を去ること八百五十年の昔 
     あなたは生死の迷いを出ずべき道をもとめて

       出家して比叡の山で修学されましたが
       人として生まれた喜びを見出せず
       百日の六角堂参篭のうちに、聖徳太子の示現をえられて
       吉水の法然上人の元へまた百日足を運ばれ
      「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし。」
       という上人の教えに深く帰依されました。
       親鸞聖人あなたは あなたが出遇われた真実のみ法を
       確かな自信と情熱をもって語られました。あなたの教えを聞いて
       いのちの真実に目覚めた念佛者の呼びかけによって
       今、私は南無阿弥陀佛を称えます。
       親鸞聖人 あなたは「佛の御恩をおぼしめさんに、
       御念仏こころにいれてもうして、世の中安穏なれ、仏法ひろまれ、
       とおぼしめすべしとぞおぼえそうろう。」
       とお手紙に書き送られ、念仏の声が響き渡る世の中こそ
       安寧であることをお示しになられました。
       平成から令和と年号が変りましたが、
       時代の驕慢の中で荒んだ心が、
       多くの夢を追いかけて生きる人々を猛火に包み、また
       幼き我が子の未来を奪うという痛ましい事件も 後を絶ちません。
       新しい年号の由来となった万葉集に
      「しろがねも くがねもたまもなにせむに まされるたから こにしかめやも。」
       と歌われた いにしえの日本人の心根が いつのまにか忘れ去られてしまいました。
       親鸞聖人 あなたは、「浄土真宗は、在世、正法、像末、法滅
       濁悪の群萌、ひとしく悲引したまうおや。」と宣せられました。
       こういう時代だからこそ親鸞聖人の教えが求められます。
      「さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなる
       われらなり。如来の御ちかいを、ふたごころなく信楽すれば
       摂取の光の中に摂め取られまいらせて、 必ず大涅槃のさとりを開かしめたまう」
       あらゆる人に開かれた親鸞聖人の念仏の教えに
       時代を超えて多くの名もなき人たちが救われてきました。
       私たちの先達がいのちをかけて聞いてこられた聖人の教えを、
       今を生きる私たちは、本当に聞こうとしているでしょうか。
       私たちの聴聞の姿勢を、この時代と社会が問うています。
       親鸞聖人数珠をまさぐるあなたの逆立つ眉の下で
       涼やかにみつめられる眼差しのかなた、 そこに私がいます。
       親鸞聖人 あなたは今私たちと共にここにいます。
       宗祖親鸞聖人滅後七五七年   本遇寺住職 釋香雪 敬って白す


10月10日  報恩講のお花を入れた。松を入れるが今回はちょうどいい高さの松を
       持ってきていただけた。以前は立派な松だったが大きくていれるのに苦労した。
       見栄えはよかったが、もうあんな大きな松は入れられないだろう。

10月 9日  夜区役所で区政会議の分科会。災害にあったときに地域の弱者にいかに
       手を差し伸べられるかということで、例えばマンションの高層階の住人で要援護者
       の方に物資をお届けする場合、中学生のお力が借りられないか、階段を10階まで
       物資を運ぶのは人手が必要なことで、そういう場合の対処が上手くとれるような方策
       を役所に考えてもらいたいと提案した。

10月 7日  大阪市の民生委員児童委員大会。研修は東京で起きた児童虐待死事件の
       被告になった母親の弁護士さん。夫からのDVによって正常な判断ができなく
       なってしまうというような話。家族の在り方まで周囲から見ていかなければならないと
       いうのも大変なことだが、まず子供の命を守るという判断ができなくなるというのも
       恐ろしいことだ。

10月 5日  天満別院の報恩講に楽僧で参勤。法要は法中も多く立派なものだったが、参詣
       の方は少ない。都会の真ん中の別院で直参のご門徒も限られているので止む負えない
       ことだと思う。法要の在り方も考えていかないといけない。

10月 4日  先月還浄された方のお別れ会がホテルで行われた。発起人は関西を代表する
       建築家の方であり、ノーベル賞受賞者も列席されているというそうそうたる出席者
       の中で手次の寺のものとして上の方のテーブルに案内されて緊張した。幸い同じ
       テーブルに福島区の寺院お方で現在ライオンズクラブの会長をされておられる方
       と並んで座れたのでよかったが、生前功績を残された方はさすがに多彩な人脈を
       持っておらるものだと改めて感じた。      

9月 30日  あるお檀家さんが趣味でハーモニカをされていて、もう何年も練習されて
       おられるので、今では十数人の同好の方と老人保健施設などに慰問に
       行かれるそうだ。ハーモニカも7~8本持ってそれを使い分けて演奏と
       かなり本格的。なんでもハーモニカという楽器はもともとドイツで作られたが
       その奏法は日本で大いに進歩したようで、逆にドイツに日本から教えに
       行ったりもされているそうだ。いかにも器用な日本人に合った楽器かもしれない。

9月 28日  お寺でのお参りがあったのでお彼岸のお荘厳を残していたら、打ち敷の
       図柄におもわず素晴らしいと参詣された方がおっしゃっていた。昨日も
       同じように打ち敷に感心されていた方があったので、夏用の白地に鳳凰の
       図柄は目を引くみたいだ。寺では一番新しい打ち敷でもあるので汚れはないし
       夏物なのであまりごてごてしていないのが女性の目には心地よいのかも
       しれない。

9月 26日  別院で是非聞きたい講座があったが、雅楽の方で大変お世話になった
       先生がお亡くなりになり、その通夜、というか天理教の方だったので、
       御霊うつしの儀式に参列。葬儀会館であったがあまり天理教の葬儀は
       されていなかったのか、式の最中お供え物の棚が倒れるというハプニング。
       厳しさの中にも優しさのある遺影を拝見しているとご指導いただいていた
       在りし日を思い出した。もうそろそろ楽の方も引き時か。  

9月 23日  秋季彼岸会。台風が来ている影響か雨は降らなかったが風が強く、参詣
       も20人余り。今回から御伝鈔の拝読と解説ということにして、今年は上巻
       の1段から4段目まで。まず聖人のお生まれになった時代、貴族の世から
       武士の時代への変革期であり、また災害も多かった時代でもある、それは
       同時代の書物「方丈記」に大火、竜巻、地震、飢饉のあり様が記され、多くの
       人が亡くなっていかれた時代でもあり、無常観が時代を覆って今より
       宗教を求める気持ちが切実なものがあった。そういう時代にあらゆる人を
       すくわんと仏門に入られた。しかし比叡山の教えでは庶民の救済はかなわず
       一切衆生の救いを求めて法然門下に入られた。そこに至るまで夢のお告げ
       があり、夢というのは自分の深層意識であり、そこには本当の願いがあり
       それを実現して行くことがそれからの人生の指針となられた、という話に。

9月 21日  朝子育てサロン。ちょっと台風の影響でお天気が悪い予報だったが、案外
       雨は降りそうにない。ただ予報が悪かったせいか人出はちょっと少なかった。
       このままだとちょっと考え直さないといけないか。

9月 18日  夜別院で教行信証講義受講。以前に比べてだいぶ進む速さが上がってきた。
       まだ行巻だがこれくらいでもまだ天親曇鸞のあたりだから、肝心の化身土巻
       まではまだまだ。聴き通せるか。

9月 17日  区役所で昼は民生の会議。夜は区政会議。分科会なので人数も絞られ、
       オブザーバー的な公募の委員もいなかったので、率直に意見が言えた。
       千葉の状況を踏まえ、マンション住民の孤立を防ぐため、エレベーターが
       使えない時の支援物資の配給などで、地域の中学生にボランティア活動が
       頼めないかということを意見した。

9月 15日  青草人の会。歎異抄11章の後半。自力の念仏では辺地胎宮に生まれる、
       とされている。しかし親鸞聖人は化身土巻にご自身の在り方を悲嘆されて、
       「定散心雑するが故に大信海にいりがたく」と自力の心が捨てられないこと
       を嘆かれています。しかしそういう者であっても第二十願の果遂の誓いに
       よって救われていく。だからまず念仏申すことが大切。ご和讃にも
       「定散自力の称名は果遂の誓いに帰してこそ 教えざれども自然に
       真如の門に転入す」と教えられています。どういう心根であろうとまずお念仏
       申させていただく、あとは六字の名号がちゃんと連れて行って下さると
       いうことです。という話に。

9月 12日  地域の中学校との情報交換会。校長先生が変わられて、いろんな状況を
       開示していただけるようになった。もちろん守秘義務があるのでその場での
       話だが、児童委員という立場で具体的に協力できることが明らかになり、
       有意義な会合だった。よく不都合なことは外部に知らせないでおこうとされる
       方もあるが、それは解決の糸口を狭めてしまうことにもなる。

9月 11日  千葉の方の台風の被害がひどい。いまだに停電している家が何万戸もあり、
       ゴルフ場のネットが倒れて屋根を突き破っている状態も手付かずのまま。
       大きな送電線を支える鉄塔が倒れたりと、風の恐ろしさが目に見えてわかる。
       去年は大阪で強風被害があったが、関東ではあまり台風の直撃がなかった
       だけに余計に対応が遅れたりしているのだろう。これから毎年こういう台風に
       襲われると思うと心配になってくる。

9月 10日  夜組会。その時組内の住職が、心臓が止まって救急車で運ばれたという話
       を聞いてびっくり。今はすっかり元気になっておられて普通の生活されているが
       何分間かは心臓が止まって、後で聞いたら心臓マッサージをしてもらった
       ようなのだが、一人二人目ではだめで三人目のマッサージで蘇生したとか。
       今はぺースメーカーをいれて大丈夫だそうだが、明日は我が身と注意しなければ。

9月 5 日  地域の支援ケアの会合。この地区では初めてのこと。これから高齢化社会
       になっていくと地域で高齢者の見守りをしていかないといけないが、それがまた
       一部の人の負担になってもいけない。役所といかにうまく連携していけるか
       そのつなぎの役目も大きい。

9月 4 日  民生委員の施設見学の研修。今回は午後からの半日コース。おかげで
       午前中の仕事を済ませて参加できた。奈良の方の障がいのある方の施設
       を見学、と言っても話を講堂のようなところで聞いただけだった。話の途中
       雷が鳴って大雨になった。こちらの方だけかと思ったら、大阪に帰って
       バスを降りて帰路についたころにその大雨が大阪にやってきた。天気は
       西から東に移っていくものだと思っていたがその逆もあるようだ。

9月 2 日  評議員をしている保育園で会合。入園式など失礼させていただいているので
       呼びかけがあったときには参加さえていただこうと思う。園舎の耐震工事の
       話で、やはり子供さんを預かる施設はそういうことをきちんとやっていかない
       といけないので大変だ。

8月27 日  秋雨前線の影響か雨が多い。これが過ぎれば秋の気配になって
       くれればいいのだが。

8月26 日  この夏は体の不調になられた方が多い気がする。夏風邪をひかれた
       方や、だるさが取れないという声をよく聞く。厳しい暑さが続いて
       冷房の入った部屋で1日中過ごす日が何日もあると、かえって疲れが
       溜まってくるのかもしれない。とはいえこの暑さに冷房は必須。
       何か良い方法はないものか。

8月22 日  ようやくお盆明けの休日。特に何をするということもないが、出かける
       必要がないということはゆっくりする。

8月17 日  夜 地域の盆踊り。例年通り受付の仕事だったが、会場の校庭は
       風もあったようだが、受付は校舎の中の入口のところだったので、
       かなり暑かった。この日は第3土曜で、隣の地区の盆踊りと重なって
       いたようで、人出は例年より少なかった。

8月16 日  墓地でのお参りだったが、台風が過ぎて暑さもだいぶやわらぎ、
       夕方4時過ぎのお参りだったのでよかった。お盆の終わりとともに
       夏の暑さも終わればいいのだが。

8月15 日  珍しく台風が来ているようで、今日は午後から暴風雨になるかも
       知れないと覚悟していたが、ちょっと降ったくらいで夕方までなんとか
       しのげた。夜にはかなり強い雨も降ったが、たいしたことなくてよかった。

8月13 日  今年初めてお参りに行って留守のところがあった。年に一度しか
       お参りしないお宅だったが、はがきで連絡させてもらっているはず
       なので行き違いがあったか。こういう時に限って駐車料金は先払い
       のところだったので300円残念なことだった。

8月11 日  あるお宅にお参りに行ったらお盆ということで子供さんもお参りに
       なっていて、お勤めしている間に似顔絵をかいていただいた。子供の
       直な目でありのままを書いていただいてありがたい。今まで肖像画など
       書いてもらったことはなかったので、鉛筆書きとはいえ貴重なもの
       としていただいて帰った。

8月 9 日  世間では明日から休日やお盆休みも含めて9連休のところもある
       ようだ。そのせいか今日は道路の渋滞がかなり激しい。ちょうど遠方の
       お参りが多い日だったので思ったより時間がかかった。 

8月 7 日  午前中中央公会堂での研修に参加。LGBTの方の話だったが
       面白かったが、ちょっと難しいところもあるなと感じた。当事者よりも
       現場で対応されている方の具体的な話の方がよかったような気がする。

8月 5 日  午後から7組の組会。忙しくなるぎりぎりのところで何とか出席。
       しかし例年先に送ってくる「教区通信」が手元にないので、質問も
       しにくい。かつてはいろいろ厳しい意見をおっしゃる先輩がおいでに
       なったが顔ぶれがすっかり若返った。もうこちらが古い方か。
       うるさがたに徹すればよかったか。

8月 4 日  盂蘭盆会。猛暑の中20名近くの方がお参りに来られた。例年通り
       勤行の後ビデオ上映。今年は昨年に引き続き九州大谷短大の
       シアタープロジェクト「愚禿釋親鸞」の後半。熱い演技で越後から
       関東、そして最後は京での聖人を生き生きと演じられていた。特に
       善鸞義絶の場面ではこちらも胸が熱くなった。我が子を義絶する
       ということはいろんな意味で厳しいことであったことがよくわかった。

8月 3 日  生駒と服部の墓地出のお勤め。例年より1時間早い時間にして
       いただいたので幾分暑さはしのげた。いつものようにお食事もお相伴
       させていただいて、午後から満中陰の法事。同い年の方の法事だけに
       まだ胸に突き刺さるものがある。

7月31日  旅行2日目。まず新井別院へ。この別院のできた由来で面白い話を
       聞いた。この地にかつては大きな真宗寺院がありそこと昨日行った
       浄興寺とのあいだで論争が起きた。当時は子供の死亡が多かったが
       15歳までは正しい信心を得ることが難しいから浄土に往生できない、
       という説があった。そこで浄興寺は寄進を受けたら寺の僧侶が、
       死んだ子供の代わりに信心を得たのちの念仏を称えましょうという
       ことを行った。一方の寺はそれはおかしい、やはり15歳までの子供は
       正しい信心を得たのちの念仏ができないのだから浄土往生は難しい
       と主張、結局本山が裁定に入り浄興寺に軍配、敗れた寺はそこから
       退去となり、その後に新井別院ができたということに。
       その後恵信尼の墓らしきところを参拝して帰阪。

7月30日  組の研修旅行。今年は上越方面。大阪からは電車を乗り継いで
       4時間あまり。駅からレンタカーでまず高田へ。古い城下町なので
       昼食な場所も築百年くらいの立派な木造建築の料亭。ここはご飯が
       美味しかった。そのあと高田別院、浄興寺と市内の真宗の由緒ある
       寺院を巡ってから、この旅行のメーン、尾神岳の殉難碑へ。明治時代
       本願寺を再建するための木材を切り出している最中に雪崩が起こり
       多くのご門徒の方が亡くなられたという場所だが、大変な山奥で車1台
       ギリギリの道を進んだ。TVで山の中の1軒家を訪ねていく番組があるが
       その道中のよう。ようやくたどり着いてその大変さは実感できたが、帰り
       は別の道を行くともっと走りやすい道があった。カーナビゲーションは
       便利だが最短の道を行こうとするので細い道を行くことに。
       夜は赤倉ホテルに泊まる。

7月29日  夜町会長会。盆踊りやらラジオ体操やらいろいろ行事はあるが、
       その中でこれは意味がないのではと思うのが「一斉打ち水」。ちょっと
       くらい水をまいたところで温度が一時的に下がっても、湿気が増えて
       効果がないのではと思うが、なんとなくやってますよ、という形を見せたい
       らしい。

7月28日  今日からお盆のお参り第1号。石橋のお宅に伺うと、今年もお盆の
       お参りが始まったという気持ちになる。いつもご一緒に正信偈をお勤め
       するが、男性の方がしっかり声を出していただくのでこちらも負けない
       ように張り切って声を出した。

7月22日  夜 別院で教行信証講義。行巻の龍樹のところをようやく終えた。
       ちょっと難しいところで、親鸞聖人も八宗の祖である龍樹を七高僧には
       どうしてもいれないとということで苦心された様子。観念的な話が多く
       かなりしんどかった。

7月21日  青草人の会。今日も歎異抄第11章。大経の18願が念仏往生の願と
        言われる由来について、至心信楽は南無で仏の方から言うと「我をたのめ」
        欲生我国は阿弥陀仏で「必ず助ける」ということで、本願の三信は名号を
        表している。そのことを善導さまは本願加減の文としてお示しいただいた。
        しかし親鸞聖人はこの願を至心信楽の願といわれている。信心に重きを
        置かれているように思われる。しかしその信心の内容は善導さまの言われる
        二種深信でいいのか。特に機の深信を自分で信じられることができるのか。
        持戒持律の生き方を貫かれた善導さまや法然さまはそれが可能でも、
        いなかの人々にそれができるのかを問われたのが親鸞聖人という話に。

7月20日  朝 子育てサロン。天候が朝方は雨が降っていたが次第に上がってきたので
       大勢の方に来ていただいた。

7月18日  夜地区の民生委の会議。8月に大阪市の研修があり、9月初めには区の
       研修。11月には3年に一度の委員全体の研修。3年に一度の改選時には
       何かと行事が多い。
  
7月16日  民生委員長会議。8月は休みのせいか、今月中に提出しないといけない
       課題みたいなものが多い。皆さん夏休みの宿題みたいといわれていたが
       その通り。宿題は早い目にしておくに限る。

7月15日  墓供養。曇り空でそんなに暑くなく、墓地でのお勤めにはよかった。ただ
       本堂で待っておられる方がおられたり、墓地では待機する場所もないので
       ばらばらなかんじになって行ったり来たりで大変。来年からやり方を考え
       直したい。

7月12 日 地区の盆踊りの準備会合。1年に一度のことだが、去年のことは忘れている。
       受付担当だが、御祝儀と手土産がややこしそう。

7月11 日 夜福島区の仏教会の総会。この会も年代が変わって、出席者の年齢では
       2番目に高齢ということになった。1番高齢の方と久しぶりに話させていただいたが
       この年になるといろいろ大変なことも起きてくるとか。ほぼ同世代の方
       なので、なつかしさがこみあげてきた。

7月10 日 組会が此花のお寺であった。そこの住職とは久しぶりに顔を合わせたが
       お元気そうでよかった。こういう時代状況になってくると、寺院のありようも
       昔と同じようにはいかない。教団からいろいろ言ってくるが、もっと無駄を
       省いてスリムにやっていってもらわないと支えきれなくなってくる。

7月 6日 午後から区民ホールで社会を明るくする運動の大会に参加。来賓ということで
       胸に来賓章みたいなものをつけるのはいいが、たすきまで渡されるのは
       たいそうな感じでちょっと困る。保護司の方々が主催なので、知った顔も多く
       お互い頑張っているのを確認するような場になった。

7月 4日 今年もそろそろお盆の予定を立てる頃になってきた。だいたい昨年通りで
       いけるはずなのだが、曜日が動いているのでそこをうまく調整しないといけない。
       それにしてもいつのまにかお盆前に休日ができていて、、かえってややこしい。

7月 1日  G20の宴も終わり日常に戻ったが、なにか車の量も少ない感じ。警察も
        大仕事を終えてほっとしていることだろう。ほとんどの大阪市民にとっては
        なにもなかったようなものだが、これで大阪の名前が知られたのだろうか。

6月29日  枚方の方に仕事があったが、いつもは車で行くが今日は初めて電車
       (東西線)で向かった。直通なので電車はスムーズだったが、駅まで迎えに
       来ていただいたので申し訳なかった。バスもあるそうだが本数が少ない
       とのこと。しかしたまには電車で行くのもいいものだ。ゆっくり座っていけたし
       車内で本も読めた。

6月28日  福島区の北の方へお参りで行くと、ちょうどその近くのホテルに泊まって
        いる要人(中国の国家主席か)が移動するところだったのか、そのあたりの
        道路を封鎖して車を通れなくし、信号も1方向がすべて青になっていた。
        そこを自転車で横断しないといけなかったので、そこに立っている警官に
        尋ねると、どうぞ行ってくださいとのこと。お参りに行って行きも帰りも同じ
        状況だから、かなりの時間車は通れなかった様子。やはり車での移動は
        危険だ。

6月27日  今日からG20の交通規制。寺の前の交差点にも川沿いへ抜ける道は
        警官が出て、柵で封鎖。時折そこに入っていく車(病院関係か)が通るたびに
        柵を移動させるのでその音が響いてくる。雨模様で大変だろうが、町の
       迷惑もたいがいなものがある。

6月24日  5時から組の会合。先般行われて葬儀の模擬法要で和蝋燭の蝋が
        垂れて掛役の方がやけどされたそうだ。葬儀ということで普通の蝋燭
        に銀色の塗料を塗っていたのが悪かったようだ。融けた蝋はへばりつく
        のでその時はそんなに熱くなくとも後で低温火傷になる。気を付けないと。
        7時から町会長会議。防犯カメラの問題や学校の校区変更のことなどで
        時間がかかった。いろいろ取りまとめるのは大変なことだ。

6月20日  夜 地区の民生委員の会議。区役所から生活支援担当の方ら5人が
        来られていろいろご説明いただいた。他にも議案が多くいつもの倍の
        時間がかかった。

6月19日  同年齢の檀家さんが亡くなった。小学校も同じで、以前は道で会ったら
        下の名前で呼びかけてくれたこともあったが、もうそういう人もいなくなった。

6月18日  昼 民生委の会議。8050問題がここにきてクローズアップされてきた。

6月17日   夜別院で三木先生の講義。名号と念仏の話。空也上人の有名な
        お木像で口から念仏を称えると、仏様の形となって現れてくるという
        ものがあったが、その原型は善導さまの肖像に同じようなものがある
        そうだ。かなり強烈なオリジナリテイを感じていたが、やはり原型となる
        ものはあったということか。

6月 16日  青草人の会。歎異抄11章の1回目。誓願不思議を信じるのか、名号
        不思議を信じるのか、というところ。誓願に名号が我々に与えられると
        誓われている。私たちが名号を称するということは、そのまま誓願が
        はたらいているということになる。南無する心は自分が起こすという
        より自然に湧き上がってくるもの。ちょっと適切ではないかもしれないが
        「生みの親より育ての親」という言葉がある。育てていただいたという
        思いがあれば、親に対して信頼があるし、甘えるという心も起きる。
        念仏も経典に念仏しなさいと説かれているから念仏するのでなく、
        働きをいただいているからおのずから念仏が称えられる、というのが
        本来のあり方、という話に。

6月14日  夜 中之島のホテルで地域の友交クラブの会合と宴席。こういう会合も
        どんどん出席者が減ってきた。住民と地域の結びつきが希薄になって
        着ている証拠。今までの常識では間に合わない世情の変化に対応して
        いかないと繋がりというものが無くなってしまう。

6月 9日  長らくお参りさせていただいていたお家が、もう住む方がいなくなって
        取り壊すために、お内仏での最後のお勤め。全てのことは移り変わって
        いくのが自然のこことはいえ、最近こういうお家が増えてきた。

6月 8日  午前中に上野でクリムト展を見て、午後埼玉のお檀家さんにお参りさせて
        いただいた。

6月 7日  新国立劇場でオペラ観劇。その前に墨田区の北斎美術館へ。東京
       在住の友人に案内してもらって大変助かる。東京は見るところが多い。

6月 6日   夜 区役所で区政会議。議題に校区変更のことがあったので、何か
        意見を求められかと思ったが、区全体のことではないので軽くスルー
        された。細かい事業にいちいち質問していては時間が足りないし、
        まあこういうことをやっていますよというアドバルーン効果を狙った
        会議なのだろう。

6月 3日  夜福島コミュニテイセンターで会議。いろいろな役職についてしまって、
         どれがどういう仕事かわからなくなってくる。まあ同じ仕事をAから見た
         場合と、Bから見た場合で名前が変わるだけという気もするが、それ
        だけにどちらが本来なのか現場にいるものはわかりにくい。




  


  平成31年


          
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